朝鮮半島の大邱に生まれた植民者二世の森崎和江は、戦後、植民地で感性を養ったことを「原罪」と受け止めて苦悩する。筑豊でのサークル運動で知られる森崎和江の思想への射程は、これまで労働および性、からゆきさんをテーマにした日本社会の「断層」に向けられてきた。しかし、森崎和江の一連のテクストを「境界」を中心に読み直すと、その連続した思想的軌跡には、東アジアに向けた越境する連帯へと収斂する思索と実践の数々が込められていることが見えてくる。こうした境界破りの越境する思想的課題を日本と韓国で共有できれば、歴史問題で混迷をきわめる両国において加害と被害を越えた連帯のあり方を模索するきっかけにもなりうる。
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