本年度は「満洲引揚体験の記憶化」を日本国内の視点に留まらず、中国からの視点と同じ宗主国として入植し引揚げた東欧のドイツ人からの視点を考慮し、比較社会学的な視点から検討した。 中国黒龍江省ハルビンの七三一部隊博物館では、胡暁慧ハルビン市日本人遺孤児連誼会会長の手引により、「養父母の恩」の展示を見せてもらい、インタビューした。中国では「日本人の満洲引揚体験」はまず中国残留日本人の養父母を称揚するものであり、日本人のそれと大きく異なる。また展示は日本からの満洲開拓団関係者に限定して公開しており、中国人には公開されていない。中国にとって「日本人の満洲引揚体験」は、ともすると七三一部隊に代表される帝国日本の戦争犯罪の軽視につながりかねないという警戒心を感じた。 東欧からのドイツ人引揚者については、満蒙開拓平和記念館のシンポジウム「日本とドイツの引揚者・帰国者の戦後」をきっかけに考察を深めた。東欧入植のドイツ人もソ連兵により追い立てられ、強制労働のためにソ連に送られるなど、日本人の満洲引揚体験と重なる部分も多い。 しかし帰国者に関して言えば、日独では大きく異なる。ドイツ基本法16条に難民の受け容れが明記され(ユダヤ人迫害の反省に基づく)、帰国者、特に1989年のベルリンの壁崩壊後の帰国者を積極的に受け容れたドイツに対し、日本の帰国者政策は消極的な施策に留まり、「残留婦人」(敗戦当時13歳以上)は国際結婚と扱う、1958年の「未帰還者特別措置法」に基づく戦時死亡宣告を理由に調査を行わないなど、1981年の訪日調査以降、1990年代に入り永住帰国が本格化した後も、身元引受人制度や貧弱な定着促進センター等により、帰国者は生活保護受給の生活を余儀なくされた。ドイツが帰国者を「統合」の輝かしい歴史と称揚するのと対照的に、日本は帰国者を厄介者扱いしてきた。このように両者の引揚体験は大きく異なる。
|