研究課題/領域番号 |
16K04135
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研究機関 | 千葉大学 |
研究代表者 |
伊丹 謙太郎 千葉大学, 大学院人文科学研究院, 特任助教 (30513098)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 賀川豊彦 / 社会事業 / 岡本利吉 / 協同組合 / 消費組合 |
研究実績の概要 |
本研究のスタートは、賀川豊彦と同労者の社会事業・協同組合実践のうち、特に農村部においてどのような展開が見られなのかを確認していくものであった。賀川豊彦の中核的労働者は神戸・大阪・東京という都市部3地域にて事業展開を進めたが、一方で農民組合や農民福音学校などを中心に賀川の構想は全国の農村部にも波及していく。賀川豊彦『農村社会事業』(1933)は極めて具体的なプログラムを中心に農村復興の提案が行われている時代を画する書籍であり、昭和農村恐慌の情勢下の農村に多くの示唆を与えるものであったが、これらの活動が1920年代半ばおける諸種の団体組織化において準備・実験されていたことは改めて強調されるべき点であろう。 さて、進捗状況・今後の研究推進において詳述するが、本研究のうち、島田市での活動は実態が明らかになるとともに、比較に足る取組を見出せなかったこともあり、浜松の聖隷社と御殿場の賀川ミッションの二者の比較が残る課題となる。反対にこれまでの研究実施期間のなかで、御殿場の取組との対比が有益である農村青年共働学校(現・裾野市)を見出し、市街地購買組合運動における関東の雄とされる共働社の岡本利吉と賀川豊彦との比較研究を進めることができる資源を得られることになった。これにより、本研究の枠組みは賀川の中核グループの影響下で農民福音学校建設へと進んだ御殿場の取組を賀川本人の方針に見立てた上で、賀川ミッションであるイエスの友が支援した聖隷社の独自の展開、さらに賀川とは異なる同時代の「協同組合主義」を有する岡本が展開した農村事業という三者比較へと研究方針に変更が生まれた。地理的には裾野が島田に入れ替わっただけのように見えるが、実態としては賀川グループ内の多様性を点描する研究から、賀川グループ内の偏差とともに賀川を同時代のなかで位置づけるという二重の入れ子状の研究へと内容を深める形に発展している。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
静岡3地域の取組のうち、島田での動きは賀川ミッション機関紙にも開始時に大きな期待が寄せられていたことのみが簡単に示されその後の展開が不明であった。本研究を通じ、活動主体はライオン島田工場職員(管理者である創業家親族)を含む島田の教会人であったことなど仔細は明らかとなったが、実際のところ規模等を含め十分な成功を収めるには至らずに活動を負えたことになる。本研究計画において、島田の事業は比較に足る濃密な内容の調査が見込めないこともあり、今後は浜松と御殿場の二者に焦点を絞る研究へと一部計画を変更する。この3地域比較という枠組みの修正にともない、計画進捗は遅れているという判断をせざるを得なくなっている。 さて、浜松の事業は聖隷福祉事業団へと展開しており、強いコミューン志向を有した初期聖隷社の多角的取組がいかにして福祉事業中心へと展開を遂げたのかについては、総力戦体制以降とりわけ戦後の戦災寡婦保護事業を中心とする我が国の福祉行政の変化との関係で極めて興味深い調査に結びついてきている。一方で、御殿場の取組については、昨年度来、隣地である現裾野市下で同時代開校された岡本利吉の農村青年共働学校へと至る思想・社会構想の変遷を賀川のそれと比較しながら検討を進めている。地理的な近接性やその後の事業展開だけではなく、本年度はそこに至る経緯や両者(賀川と岡本)の思想的変遷を、初期活動以来の取組の中に見出す比較研究を進めることができた。賀川の協同組合主義を端的に象徴する共益社グループ(神戸消費組合や江東消費組合を含む)の実践が同時代の市街地購買組合運動においてどのような位置づけにあったのかなど、極めて広いパースペクティブで研究を進められることになったため、この度の研究計画の一部変更に対しては、望ましいことだという自己評価を下している。
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今後の研究の推進方策 |
進捗状況において示した経緯にあるように、本研究のスタートが賀川グループ内の多様性に焦点をあわせていたのに対し、賀川グループの同時代的位置づけも加わることで、二重の視点で研究を推進することになる。今後の方策として強く自覚すべき点は、当初計画は農村部という地理的切り分けが研究の限定性を確保する上で有効であったが、具体的な農村における取組や実践だけではなく、それらを基礎づける同時代思想という位相を重視することなるため、研究に複雑さが増してくることである。聖隷社を見る場合にも、彼らの事業だけではなく国の福祉政策の変化との関係で捉え直すことになり、これまでの定点観測の視点だけではなく、もう少しマクロな社会事業・社会福祉史およびこれに関係する法制度についても知見を深めなければならない。最終年度に予備作業的なものが必要となるのは例外的であり、困難さが増すことが予見されるが、計画自体はグレードを上げていると自己評価しており、より有益な成果の公刊が期待されるという予想も踏まえ、この方向で進めていきたいと考えている。 本来的にこの研究は史資料を収集し実証的に取組を再現する狭義の歴史研究ではなく、むしろ賀川豊彦の提唱した協同組合型社会事業・社会構想の可能性を現代的視点から評価する思想的アプローチを旨とするものであり、この視点からみれば、当初計画を極めて大きく進展させていると判断する。最終年度(3年目)はアウトプット中心の計画であったが、こちらも改め、史資料の突き合わせを含めた地ならしの作業も平行して進めることになる。1年間での作業でどの程度まで具体的な成果に結び付けられるのか困難な点も多いが、これらを以って、最終年度成果研究推進方策としたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
(理由)本研究進捗でも示したように、比較対象の三地域のうち島田市の事例について比較に足る実態が見出されなかったことと、あらたに比較対象として魅力的な地域が見出されたことで、計画内容を一部変更した。これにより、予備調査に係るエフォートが大きくなり、研究費そのものも含め、次年度に繰り越されることとなった。
(使用計画)本年度まで、現地調査を含む旅費が支出の多くを占める状態となったが、予備調査を経て新しく選定された地域における取組に係る史資料の複写や購入等において物品費にウェイトを置く形で最終年度として当初計画に近いバランスを保った支出を行えるよう調整する予定である。なお、謝金等についてはヒアリング対象者のご厚意で遠慮されたことで現時点で計上されていないが、テープ起こしや資料整理に係る人件費にて最終年度の支出を予定している。
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