研究課題/領域番号 |
16K04179
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研究機関 | 高知県立大学 |
研究代表者 |
中嶌 洋 高知県立大学, 社会福祉学部, 准教授 (00531857)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 原崎秀司 / 長野県社会部厚生課 / ホームヘルプ事業 / 家庭養護婦派遣事業 / 山崎等 / 『長野縣厚生時報』 / 『戸倉町公民館報』 / 晩年期 |
研究実績の概要 |
今年度は、昨年度に続き、1939年1月~1956年3月までの17年3ヶ月間、長野県庁職員を勤めた原崎秀司の公務内容に焦点をあてた。戦後荒廃や生活再建を思案するなかで、それらがのちのホームヘルプ事業化にいかにつながったかを考究した。『長野縣厚生時報』(1940年)、『戸倉町公民館報』(1956年)などの第一次資料及び関連第二次資料を分析した結果、現実のなかに真理を見出すこと、敗戦への省察が戦残軍人遺族への配慮につながったこと、「心篤き援護」として未亡人対策が重視されたこと、全体の切り下げではなく、協同・組織の力による実質的底上げが可能になること、住民たちの民主性・自主性を喚起し、社会福祉を萌え上がらせようと意図したことなどが明確になった。家庭養護婦派遣事業の創設に結びつく糸口を解明すべく、要援護者の適切な選定や新生活運動の展開などを重視した原崎の言説を精査し、その要点の実証的裏づけを試みた。その成果が『社会事業史研究』第54号(2018年9月刊行)に掲載される予定である。 一方、原崎の晩年にも着目し、日本赤十字社長野県支部事務局長就任、ヒルティの『幸福論』と読書法、歌集刊行への熱意、障害者福祉分野との関わり、九州旅行と山崎等との関連、教育活動と闘病生活などを具体的に明らかにした。こちらは『社会事業史研究』第52号(2017年9月刊行)に掲載された。他方、長野県社会福祉協議会理事会での討議内容や人間関係については、現存する『長野県社協ニュース』(1974年以降)に当たったが、いずれも時期が1970年代以降と原崎の生きた時代と合致していないため、さらなる資料の掘り起こしに努めているところである。横内浄音や藤井伊右衛門らの認めた日誌などがあればそれらを紐解くことが研究課題へのアプローチとなる。未完の課題については、引き続き、資料収集及び聞き取り調査を継続する予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
原崎秀司の長野県庁職員時代の役割や人間関係については解明されつつあるものの、彼の私的な面については資料の限界等の壁に直面し、時間を要している。私生活で趣味であった短歌、読書、日誌等へのアプローチは彼の思想を解明するためには欠かせない。一方、公務についても、長野県社会福祉協議会理事会、長野県社会福祉大会、長野県議会議事録など、県政レベルの資料の発掘という課題が残されている。最後の一年ではこれらの課題に加え、ホームヘルプ事業と関連する事業にも目をむけ、原崎が参照した関連団体・機関の動きも捉えるようにしていきたい。
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今後の研究の推進方策 |
原崎秀司を中心とした長野県内におけるホームヘルプ事業の制度化のプロセスの解明にはまだまだ残された課題が少なくないと考える。第1に、欧米社会福祉視察研修時に彼が作成した英文報告書(原文)が発見されていないことである。この報告書を発見し、これと長野県通知「家庭養護婦の派遣事業」に記載された実施要綱や服務心得とを比較検討することで、新事業の制度化のプロセスが実証的に明らかにし得る。第2に、原崎が欧米視察時において見聞きしたイギリス、スイス、フランス、アメリカの4カ国の当時の社会福祉制度やホームヘルプサービスの実態解明をすることである。進んだ他国のどの部分を原崎が参照しようとしたのかに迫ることで、より具体的に制度化のプロセスが解明できよう。第3に、長野県社会福祉協議会理事会での検討内容の解き明かしについてである。保存資料の限界という問題もあるが、私人や民間側に保存されている記録物や手がかりを集めることも今後の研究課題といえる。原崎をとり巻く様々な人間関係を一つひとつ解きほぐしながら、史実の裏づけとなるものを発掘し、それがホームヘルプ事業史上、どのような意味があったのかを探究していきたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
本年度が本計画の最終年度となるため、課題③「ホームヘルプ事業と原崎が参照した関連職種・機関・団体との関連の考察」をすすめるためである。また、課題①②でもとり上げたが、長野県社会福祉協議会理事会の議事内容が未解明であること、さらに、原崎の欧米社会福祉視察研修時の英文報告書が未発掘のため、それらの継続課題に着手する必要があるためである。
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