本研究では、1950年代前半の長野県内での原崎秀司の職務内容とホームヘルプ事業化との関係性を明らかにすることを目的とし、原崎秀司、家庭養護婦派遣事業、ホームヘルプ事業に関する第一次資料を紐解き、同事業化のプロセスを実証的に明らかにすることに努めた。その際、史料収集と聞き取り調査の両方法によりアプローチした。結果としては、史料収集では、原崎が国連本部に提出した『欧米社会福祉視察研修報告書』や長野県社協理事会会議録は発掘されなかったものの、長野県社会部厚生課関連資料(議事録、厚生年報、長野県広報など)や長野県社協ニュース、上田市社協ニュース、上田市社協議事録などを探し当て、史実の一端を明確にし、ホームヘルプ事業化の解明を一歩前進させた。 なかでも、ホームヘルプ事業の先覚者であり、元長野県社会部厚生課長の原崎秀司の県社協勤務時代、晩年期、さらには、短歌や農民美術に傾倒した青年期にまでアプローチできたことは大きなことであった。その他、長野県の事例のみならず、高知県や島根県のホームヘルプ事業史をも探究できたことは予想外の成果となった。
|