最終年度であった2018年度は、初年度及び第二年度に学会発表した兵庫県社会事業主事小田直蔵と明治期神戸に女紅場として存在していた福原女学校について、さらに研究を深めることに専念した。 戦前期の神戸において社会事業の分野で活躍した小田直蔵という人物がいた。小田は、1927(昭和2)年から1942(昭和17)年まで兵庫県社会事業主事に任命されている。社会事業主事とは、「地方社会事業職員制」によって定められた職制である。小田は、ほぼ制度の創設から廃止まで在職していた。ただ社会事業主事制度については、社会福祉史の分野でもあまりよく知られていない。研究初年度は、この制度の詳細について明らかにすることを中心に研究を進めた。 戸田金一によれば、慈善学校の研究は「日本史そして日本教育史、また社会福祉史の空白部」であるという(戸田『明治初期の福祉と教育』)。明治初期から中期にかけての「慈善学校」については確かに空白部である。同時期の慈善学校に関する数少ない研究書としては、坂本清泉・坂本智恵子『近代女子教育の成立と女紅場』(1983年・あゆみ出版)がある。しかし、そこでの福原女学校は「(駆梅院に‐小笠原)入院中の芸娼妓を教育することは、比較的に容易であったからでもあろう。神戸の福原でも同様の事業が試みられていたという」と曖昧にしか記述されていない。第二年度の研究においては、同女学校についての実態を解明することに努力した。 最終年度においては、これらの成果を論文にまとめ学会誌に投稿予定であったが、草稿まで出来上がったもののさらに資料的裏づけが必要であり、未投稿のままである。したがって研究期間終了後にこれらの成果を学会誌で発表予定である。
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