本年度は、18世紀フランスにおける生物学と統治論の結節点にある議論としてエルヴェシウス(1715-1771)の著作を検討した。エルヴェシウスは啓蒙思想を代表する論客であり、ルソー『エミール』を厳しく批判したことでも知られている。代表作『精神論』(1758)は禁書処分され、『百科全書』の刊行継続さえ危うくするという筆禍事件を引き起こし、ロック経験論を継承し、功利主義へと影響力を及ぼした思想家である。 エルヴェシウスの遺作として刊行された『人間論』(1771)は、統治論と能力論と教育論が結合したその思想の集大成である。冒頭から「人間学は統治学の一部である」というテーゼが示され、教育学もその一環として位置づけられる。エルヴェシウスにとって「教育学は競争心をおこさせる手段についての学問」であり、人間精神と社会の進歩の原動力である。それゆえ『人間論』第一巻は教育論で占められ、教育学を新たな世俗的社会の統治術として打ち立てようとする顕著な志向に貫かれている。 本書第二巻では、精神の差異が身体に因むのか、教育に因むのかが議論され、エルヴェシウスの人間本性論が開陳される。彼の人間本性論は極めてユニークで、精神の諸能力が様々に列挙されいくという従前の様式を踏襲せず、「精神は感覚能力(la faculte de sentir)の結果である」という大胆な立論からなるものである。その際、鉄が燃素(フロギストン)の化合物であるように、動物もその有機体構造から感覚能力が生じているとする論拠が詳細に注記されており、能力を軸に生物学と教育学が結合する歴史を捉えようとする本研究にとって、極めて興味深い知見が得られた。形而上学的生物論を棄却し、有機体論的生物観に立つエルヴェシウスは燃焼という一つの「能力」を実体化した燃素のメタファーによって感覚能力を捉えていたことは、特筆すべき事実として強調されてよい。
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