新制高等学校については、各校の周年誌を中心史料として、未完成ながら、戦前からの中等教育学校の変遷過程をとらえることができた。これは、本研究の大きな成果となった。この表づくりを通して、定時制課程の変遷を三段階にわけることができるという結論を得た。第一段階は、分校も多く開設された農業関係の昼間定時制課程全盛期である。この段階は高等学校への進学率が高まる過程でもあり、道路や交通事情が不十分であった時点で分校が果たした役割は大きかったと推測される。第二段階は高度成長期で、教育内容の中心が農業から商業あるいは工業へと移行し、昼間定時制でなく夜間定時制が勢いを増していく。第三段階は、高等学校進学が当然となった1970年代後半以後の社会において、定時制課程が高等学校進学のセーフティネットになっていく時期である。 この研究を通して、各学校が発行してきている「〇〇周年記念誌」といった周年誌の史料的価値が高いことも把握できた。というのも、これらの多くには、生徒だったころの回想録や、生徒や教師自身が書き残したものも収録されているからである。しかし、できることなら生徒会誌そのものを収集したいところである。 こうした周年誌を基礎史料として、第二段階の定時制を代表するものとして、栃木県立小山高等学校定時制課程について、学会発表することができた。かつて生徒であった筆者と同世代の女性と、全盛期に商業の教員であった方に聞き書き調査をすることもできた。定時制の生徒会誌を、一部ながら収集できたのもよかった。 第一段階を示す定時制課程として鹿沼農商高等学校定時制を取り上げ、栃木県立高等学校の変遷過程とともに学会発表した。その後、フィールドワークを検討したが、果たせず、残念だった。
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