研究課題/領域番号 |
16K04484
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研究機関 | 文教大学 |
研究代表者 |
太郎良 信 文教大学, 教育学部, 教授 (20236772)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 綴方教育 / 『赤い鳥』 / 『鑑賞文選』 |
研究実績の概要 |
雑誌『赤い鳥』と雑誌『鑑賞文選』(のち『綴方読本』)との双方に関わった教師として、北海道の木村文助・木村不二男(不二男は途中から東京)の父子がいる。木村文助については「1930年代における木村文助の綴方教育論の検討」(『教育研究ジャーナル』9巻1号)として、その綴方教育論を概観した。文助・不二男の両人の関係史料の一部を所蔵する北海道森町図書館において、文助の手稿『綴方概論』(1940年頃のもの)や文助と不二男の雑誌論文等の複写をおこなった。ただ、『綴方概論』の手稿そのものは史料の保存を理由に公開されておらず小さなカラー写真による公開のため、複写対象そのものが鮮明さに欠ける面があり、公開されているカラー写真の再点検とともに、同時代の関係史料との照合も求められる。そうした関係資料を補うために、函館市立図書館、北海道教育大学函館校図書館においても文献収集をおこなった。 鈴木正之『鉛筆の跡を辿りて』(北方教育社、1930年)は、著者名・書名は戦後の綴方教育史研究において知られてはいたものの、その人物像も書物自体も幻のままにされてきている。書物は、近年になって鈴木正之の関係者とみられる方から秋田市立図書館明徳館に寄贈されていたことが確認され、複写をおこなった。その所蔵自体、注目されることはなかった。内容的には、前述の木村文助の影響をうけた綴方教育実践にもとづくものであることが見通せるものである。秋田大学付属図書館においては、鈴木正之の学級文集『山すそ』を確認したが、著作権の関係とされる理由により、一部の複写しか許されないため、手で書き写す作業がのこっている。鈴木正之の経歴等については、当時の勤務校であった現在の大仙市の清水小学校や太田東小学校(もと長信田小学校)の協力を得て子孫の確認ができ、子孫の方と連絡がとれた段階であり、現地調査の日程について交渉を進めるところである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
木村文助の手稿『綴方概論』は、文助の1910年代から1930年代にいたる綴方教育実践と綴方教育論を踏まえて自らの綴方教育論の集大成を試みたとみられるものであり、史料価値として極めて重要なものである。ただし、その手稿は加筆修正のあとが甚だしいとともに、不二男によるとみられる加筆もあり、どこまでが文助によるものであったかの見極めが難しい。さらに、大野町図書館において現物は非公開のため、不鮮明なところもある小さなカラー写真に依拠するほかはなく、手稿原文の判読が難しい面がある。そのため、厳密に言えば『綴方概論』そのものの解読は困難であろう。ただ、文助の手稿は、既発表の雑誌論考に加筆したり他者の文集等からの切り貼りもみられるため、元として使われた関連資料を再収集することによって、ある程度の内容の把握は可能になるものとみられる。そのため、文助の雑誌論稿や関連する文集の収集につとめつつ、『綴方概論』の解読を急がなければならない。
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今後の研究の推進方策 |
1930年代の綴方教育実践の動向を、個々の教師を事例として整理、考察していく。 その際、『赤い鳥』綴方と生活綴方の双方にかかわった木村文助・木村不二男の整理・検討を先行させながら、他の教師の事例の整理・検討をおこなう。 『鉛筆の跡を辿りて』の鈴木正之の場合は、これまで先行研究が皆無に等しい状況に男あり、現地調査がきわめて重要となる。
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次年度使用額が生じた理由 |
函館、和歌山、天理、山形、秋田などの現地調査の旅費、そして、それらの資料整理のためのアルバイト代等への支出を見込んでいた。しかし、函館と秋田の図書館を中心とした調査のみとなった。これは、調査予定先との交渉の遅れ等に起因するものであった。
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次年度使用額の使用計画 |
現地調査の計画と訪問先の交渉を早めに進めていく。 昨年の調査先の北海道大野町図書館、秋田大学図書館の補充調査をおこなう。
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