遊び中心の保育を実践する際に、教師(保育者)がクラスの幼児集団を見取る方法論を唯一持ち得ている小川博久の「遊び保育論」は、製作コーナーで作る行為をモデルとして行いながら、室内で展開される3~5つの遊びを同時並行的に見取り、各遊びの援助を考え実行するという<身体知>が要求されるが、その獲得は新人保育者には必ずしも容易なことでない。それゆえ、新人保育者が「遊び保育」実践のための<身体知>を獲得するためには、どのような条件や課題があるのかを明らかにする必要がある。昨年度までに、子どもたちの遊びを見とることができるには、遊びが保育者から自立的であること、各遊びのメンバーと場所が安定しており、メンバーの凝集性が高いことが必要であることを理論的、実証的に明らかにした。今年度明らかにしたのは次のことである。 ①新人保育者の保育実践において幼児たちが室内で展開する各遊びのメンバーと場所が安定しないのは、保育者に個別的言語的関与傾向が強いことが関係している。個別的・言語的関与傾向が強いと、幼児が保育者の周囲に集まってしまい、保育者は製作コーナーで作るパフォーマンスを維持できない。そのことによって保育者のモデル性が低くなり、製作コーナーにいる子どもたちが作る遊びを維持できない。言い換えれば、保育者が作るノリを生成できなければ、子どもたちが作るノリの共同生成を維持することができず、それによって動き回ることになり、結果的に他のコーナーの遊びも安定しない。 ②このように新人保育者の個別的、言語的関与傾向が強いのは、第一に、国の示す設置基準は、保育者1人が集団を見取ることを前提としているにも関わらず、内容基準は幼児一人ひとりを見取ることを求めているという矛盾があること、第二に、それによって保育者養成校で使用される教科書が子ども一人ひとりを見取り、関与することの重要性を謳っていること、にあると考えられる。
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