研究課題/領域番号 |
16K04505
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研究機関 | 同志社大学 |
研究代表者 |
越水 雄二 同志社大学, 社会学部, 准教授 (40293849)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 市民教育論 / カンパン夫人 / ギゾー夫人 / 女子教育論 / フェヌロン |
研究実績の概要 |
本研究は、1720年代から1820年代へかけてのフランスにおける教育思想の展開を〈市民教育〉論の形成を探る観点から考察する試みであり、次の二つの作業を言わば両輪として進めてきた。一つはルソーやエルヴェシウスなど18世紀の著名な思想家による教育論を〈市民教育〉の側面で検討する作業、もう一つは19世紀前半のこれまで日本では知られていない教育論を新たに読み解く作業である。後者に関しては、〈市民教育〉を女性の存在および女子教育も含めて捉える意図から、カンパン夫人とギゾー夫人の作品を史料に選んでいる。 2018年度には、上記二つの作業の成果を総合して今後の考察を進めるため、17世紀末から18世紀前半に活躍し作品は19世紀まで広く読まれていた、フェヌロン(1651-1712)の教育思想とその後世における受容を新たに研究した。この狙いは、従来、彼の『女子教育論』(1689)は18世紀を通じて参照されて、貴族社会の伝統的な主張として19世紀へ継承されたと言われてきた点を、カンパン夫人とギゾー夫人による議論において検証することと、彼の『テレマックの冒険』(執筆1690年代、全巻公刊1719)に見られる教育思想が18世紀の教育論全般へ与えていた影響を解明することにある。 フェヌロンの女子教育論は、貴族の娘が家政を司る母親になることを目的とした点では確かにアンシァン・レジーム社会に根差し即する議論であったが、しかし、その枠内で女子に対する高度な知的教育も相応しい者については許容していた点が注目される。これがフランス革命以降、貴族に限らず、むしろブルジョワ層の家庭において女子への知識教育を積極的に推進する、当事者たちにとっては伝統的でも復古的でもない、新たな議論へ受け継がれていったかと考えられる。カンパン夫人やギゾー夫人の著作は、女子教育論のそうした展開に貢献した作品であったと解釈されるのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
「研究実績の概要」に記した通り、2018年度には、18世紀におけるフランス教育思想の展開に(これまで日本ではほとんど注目されていなかったが)実は多面的に重要な影響を与えていたと考えられるフェヌロンの教育論を研究することによって、2016・2017年度から翻訳と検討を進めてきた19世紀のカンパン夫人とギゾー夫人による教育論の意義を解釈する材料が得られた。これは本研究計画にとって大きな前進である。 ただし、その成果は今のところ主に〈女子教育〉の側面に限られているので、そこに止まらず男子も含めた〈市民教育〉論の形成を捉えられるように、さらに史資料の検討を進めていく必要があり、その準備も行ってきた。 以上の理由から、「おおむね順調に進展している」と判断している。
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今後の研究の推進方策 |
「研究実績の概要」に記した2018年度におけるフェヌロン教育思想の研究成果は、文字数の制約から『女子教育論』を史料とする内容のみに止めたが、『テレマックの冒険』をめぐる研究からも今後へ向けての大きな収穫があった。 『テレマックの冒険』は、フェヌロンがルイ14世の王太孫ブルゴーニュ公の教育のために執筆した、いわゆる〈王子教育〉を目的にギリシア古典のホメロス作『オデュッセイア』に着想を得た冒険小説である。この作品は、日本では従来、文学史上はフランス古典主義の傑作の一つに挙げられてきたが、フランス近代教育思想の展開を捉える際に取り上げられることはなかった。 しかし、近年のフランスでの研究によれば、『テレマックの冒険』はルソーをはじめ18世紀中葉以降の教育論者に新しい指導原理への示唆を与えていたと解釈できるし、また、19世紀における青少年向け小説としてベストセラーになっていた。 さらに筆者の研究では、『テレマックの冒険』にフェヌロンの〈王子教育〉論だけではなく〈公教育〉や〈市民道徳〉をめぐる主張も読み取ることができた。 したがって今後は、1720年代から1820年代へかけてのフランス市民教育論の形成過程を、過去3年間の研究成果をもとに、さらにフェヌロン教育思想の受容という観点から解明・考察することにより、4年計画の本研究をまとめ上げていく方針である。
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