本研究は福岡県京築地域に6つの奉安殿と1つの奉安庫が残存していることを明らかにした。この6つの小学校の奉安殿は、GHQの命令に従い小学校から「撤去」され、校外へ運び出されていた。その目的は戦没者を祀る慰霊塔として使用することだった。 これら残存奉安殿は石造りであるという共通点があり、特に注目すべきは、その一部だけではなく、台座を含めて戦前の形=原形が維持されていたことである。単に戦没者の位牌を入れる「箱」以上の意味が付与されていたと推測できる。また、この地域でも奉安殿は地域の有力者の寄附で建設されており、小学校と行政施設を隣接させた村行政計画の中心として奉安殿が位置付く事例もあった。
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