研究課題/領域番号 |
16K04531
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
大谷 奨 筑波大学, 人間系, 教授 (70223857)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 新構想大学 / 大学誘致 / 国立大学 / 文部省 / 地方自治体 |
研究実績の概要 |
今年度は、昨年度の資料収集状況から比較的系統立った収集が可能と思われる①鳴門教育大学、②鹿屋体育大学の誘致関連の資料の収集と整理を重点的に行った。すなわち、 ①鳴門教育大学については、昨年度収集した鳴門市議会の大学誘致に関する特別委員会に対応する市議会会議録の収集を完了した。1969年前後から中央における「新幹線大学(後の新構想大学)」の議論を察知して市議会で議論が開始されていること、それが塩田の跡地問題と合体することで誘致運動が本格化してゆくこと、しかし当初は私立大学の誘致の二本立てで検討されており、どのような大学を誘致するかではなく、とにかく何らかの大学を誘致したいという意向が強かったことが明らかとなった。次第に教員養成系の新構想大学誘致へと運動の方向が定まっていくが、その過程で徳島県からの支援と、競合する徳島大学教育学部の取り扱いが議論となっていくという一連の展開も明らかとなった。 ②一方、鹿屋体育大学については、県議会会議録等の県レベルの資料の収集を行い、誘致達成までの会議録についてはほぼ収集を終えた。その際、鹿児島県が策定した新大隅開発計画の存在を知ることになった。1971年策定当初には記載されていなかった当該地区への大学誘致が数次の改訂後に組み込まれており、鹿屋における誘致運動が次第に全県的な課題としてとらえられるようになっていった様子を明らかにできた。 なお、副次的な実績として ③新構想大学誘致は検討したものの、誘致には至らなかった地域のその後の動向を検討したところ、先端科学技術大学院大学のように新構想大学の後継大学の誘致に転換する地域、私立大学の誘致に動く地域などが散見された(これに自前で公立大学を設立する動きが加わると思われる)。結果的に新構想大学の設立は1980年代以降の大学の地方分散を促したと評価することもできる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新構想大学はそれぞれ個別性の高い性格を持っており、誘致側の事情も種々であることから、同量で同質の資料を収集することは難しいものの、二年間資料の渉猟作業を進めることで、運動が加熱していく段階で、誘致が当該基礎自治体から都道府県レベルの課題として持ち上がり、県議会等で活発に論議されていく傾向はほぼ同様であることが確認できた。 今後、それぞれの新構想大学について、どのレベルの議論をどのように補充しなければならないかという、作業課題が明確になったと考える。
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今後の研究の推進方策 |
上述のように、基礎自治体と都道府県、それぞれのレベルにおける誘致運動やそれに関する議論を重ね合わせることが重要であることから、鳴門教育大学については徳島県県議会会議録の確認、鹿屋体育大学については市議会会議録の確認を行う。 技術科学大学については、比較的、強力な政治家による影響が低かったと考えられる、豊橋について、市・県双方の論議の収集を進めたい。 最終的には、誘致に動いた各地域は新構想大学の理念に必ずしも全面的に賛同して運動を展開したわけではなく、何らかの大学を誘致しようという試みが、結果的に「新構想」の受容につながっていったのではないか、というここ二年間で収集した資料の分析にから見えてきた仮説の実証を試みたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
(理由) 出張計画をたてていたところ、その日程予定前後に治療を受け、安静を要する期間と出張期間が重なってしまったため、計画を断念せざるを得なかった。そのため出張旅費ほぼ1回分の残額を次年度使用に回さざるを得なかった。 (使用計画) 最終年度は大学の本務との関係で、長期にわたる研究出張が従前より行いにくくなった。そのため小刻みな日程での調査出張を行うことになるので、残額はそれに充てることを考えている。
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