最終年度は補足的な資料の収集を行いつつ、その整理と分析を通して研究の総括を行った。研究の成果は以下の通りである。 ①豊橋技術科学大学については、市当局に加え、地元の青年会議所が当初から熱心に誘致活動を展開していたこと、また活動については、豊田における高等専門学校誘致、隣県である浜松における医科大誘致の成功を「学習」していたことが明らかとなった。また、上越教育大学については新潟大学教育学部高田分校の存廃問題、兵庫教育大学については県内の深刻な教員不足が前提として控えており、教員養成系の高等教育機関の増設という潜在的なニーズが新構想大学誘致運動の原動力となっていたことを確認した。 ②一方、鳴門教育大学については、まず塩田跡地の有効利用という観点から、国立に限らず広く大学誘致運動が展開されたものの、最終的には新構想の教育大学誘致へと的を絞っていった過程を明らかにした。しかし徳島大学教育学部との競合が懸念されたことから、その調整に時間がかかり開校が遅れたこと、その際誘致運動の主体としては、徳島県よりも鳴門市が積極的に活動していたことを明らかにした。 ③さらに鹿屋体育大学に関しては、そもそも大学誘致の動機が地元での高等教育進学先の確保だったにもかかわらず、新構想大学設立という国の動向を看取して、教育大学の誘致、そして体育大学の誘致へと目標が変化していくなかで、最終的には国立大学の誘致という本質的な動機が顕わになっていく模様を指摘することができた。 ④なお、補足的ではあるが、新構想大学の設立という政策動向が、各地で誘致運動を惹起したこと、およびその誘致を試みながらも失敗した自治体には、例えば教育大学誘致を目指したもののそれを果たせず、その後独自で公立大学を設立した会津若松市のような事例もあり、新構想大学を巡る各地の動きが、その後の公立大学の開設につながった可能性を示唆することができた。
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