本研究は、高等学校までにおける古文教材の取り扱いが、あまりにも遊びや笑いを認めない解釈に偏りがちであるのを問題視し、『徒然草』の仁和寺の法師関係章段、『枕草子』と『徒然草』の笑話、『宇治拾遺物語』の霊験譚を対象に、「笑い」という視点から古文教材の新たな解釈を提示しようとの試みである。 昨年度は、『宇治拾遺物語』に見える、神仏の計らいに異議を唱える、「神仏にたてつく人々」を語る説話の文学史を検証することを専らとし、『宇治拾遺物語』に先行する仮名文献の調査をほぼ終えた。その調査中、仏教説話の場合、舶来の漢籍の影響を想定する必要を痛感し、最終年度に当たる本年は、唐代までに成立し、仏教説話に多大な影響を与えたと考えられる漢籍、具体的には『経律異相』『法苑珠林』『大唐西域記』『高僧伝』『続高僧伝』の読解を中心に行った。しかしながら、漢文の読解能力の未熟ゆえに、『経律異相』『法苑珠林』はその大部を読了できないまま年度末を迎えることとなったのは遺憾である。但し、先行する仮名文献、および調査を終えた舶来文献の範囲に限ってであるが、「神仏にたてつく人々」は中世の黎明とともにその姿が珍しくなくなるとの見通しを明確に否定する事例には遭遇しなかったことを付記しておく。 また、昨年度、保留した「笑い」を視座とした『徒然草』と『枕草子』の比較研究は、「笑い」にまつわる両書の該当箇所を網羅するなどの基礎的作業は終えたものの、上述の如く、漢文文献の読解に予想以上の労力と時間を余儀なくしたため、立論に殆どとりかかれなかった。 この三年間を通じ、地道な基礎的な調査を行い得た結果、語誌、類話研究の相当量のデータを集積することができたが、そこで得られた知見は、言わば、箇条書きに列挙できる水準に留まり、恥ずべきことであるが、いずれも作品論として納得のいく水準において、有機的に論文とすることが叶わなかった。
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