世界は量子力学の法則により成り立っているが、計算化学の分野では計算コストと精度の兼ね合いから、原子核を質点近似して古典粒子として取り扱う方法が多く用いられている。ほとんどの原子核は電子と比べてずっと重く、その量子効果は顕著に表れないため、この近似は炭素や酸素、鉄などの多くの原子の場合は妥当な結果を与える。しかし、水素原子などの軽い原子では、しばしば無視できないエラーを与え、また、トンネル効果や同位体効果などの原子核量子効果に説明を与えることができない。 本研究では半古典経路積分インスタントン法と経路積分分子動力学法を元にして、有限温度での原子核量子効果を効率的に計算する手法を開発することを目的に、これらのプログラムの改良を行い、応用を兼ねた実証計算を行った。最終的な統合プログラムの開発までには至らなかったが、大規模並列計算の検証を兼ねて行った水素内包C60フラーレンの全原子第一原理経路積分分子動力学法計算では、原子核量子効果による分子振動がC60フラーレンの電子励起エネルギーの分布に影響を与えていることを見出した。C60フラーレンのπ電子球状電流の起源であり、基底状態に起因する反磁性電流と、励起状態に起因する常磁性電流のうち、常磁性電流が電子励起エネルギーに依存することから、この電流が作る磁場の影響により、内包水素の受ける核磁気遮蔽効果は電子励起エネルギーと相関を持つ。このストーリーは、ケージであるC60フラーレンの量子振動の効果がその内部磁場に影響を与えていることを初めて示した例である。炭素ほどの重い原子の量子振動が物理量に影響を与える例はあまり多くなく、今後同様の性質を持つ系を探索する上で有意義な発見であると考えられる。また、発表済のもの以外にも原子核量子効果が顕著であることが予想される水素結合複合分子系に関する研究を行っており、この成果についても発表準備を行っている。
|