本研究は,水力発電に伴う利潤を地域資源利用によって生じるものと捉え,地域と資本の間の利潤配分が国家によって制御されてきた実態を明らかにした。明治期における水力発電事業の開始から現在に至るまで,水力発電事業をめぐる市区町村,都道府県,国の動きは,地域資源から生じる利潤の帰属をめぐる関係者の要求と規制,対立,交渉の歴史であったといえる。この基本構造は不変であり,大都市一極集中が問題になる中,公営水力発電は,条件不利地域がもつ地域資源の利用形態の一つとして,その重要性がさらに高まるものと考えられる。 宮崎県は,近代以降,県内資源を利用して県の振興を図ろうとした。県外送電反対運動,県営発電所の復元運動,さらに戦後にも県営発電事業の果実を県民へ還元する努力がなされたが,国により地域貢献は強く制限された。平成11年から本格的に始まった電力自由化によって,条件によっては,水力発電が大きな利潤を得る可能性がもたらされた。今後,県の水力資源を利用する他の事業者との関係も含めて,新しい調整がなされる可能性がある。 近代の鬼怒川におけるダム式発電導入に伴った発電会社と農業用水の水利調整に関する研究では,以下を明らかにした。 ①内務省の「命令書案」(大正7年)では,「灌漑等に支障を来し又はその虞あるときは関係者と協議し水路の改築その他適当な方法を講ずべき」ことが命じられた。しかし,実際に問題が起こったとき,農業用水と発電会社の協議は合意に至らなかった。 ②官選知事は,上流発電所の水利権更改を,下流ダムで逆調整を行うための水利権許可条件変更の交渉材料にした。明治44年の「栃木県指令」では,下流の灌漑用水に欠乏を告げる恐れがあると認められる場合,発電会社の貯水池から放水することを命じていた。当事者同士の「協議」では問題解決に至らず,公文書に明記された「行為の命令」によって,昭和7年,紛争は解決した。
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