研究課題/領域番号 |
16K06698
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研究機関 | 長崎総合科学大学 |
研究代表者 |
山田 由香里 長崎総合科学大学, 工学部, 教授 (60454948)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 長崎の教会堂 / パリ外国宣教会 / 世界遺産 / ド・ロ神父 / 黒崎教会堂計画図面 / 鉄川与助 / 授産施設 / 川原久米吉・川原忠蔵・川原正治・片山伝次郎 |
研究実績の概要 |
研究実績は、以下の四点からなる。 第一に、パリ外国宣教会の長崎・九州における活動を下支えしていた大工・鉄川与助(1864-1976)の1900年から1950年頃に手掛けた建築総覧作成である。成果は、拙著『鉄川与助の大工道具』(長崎文献社、2018)に収録した。総覧を見ると、発注者が外国人神父の場合は建築に神父の希望が色濃く表れるが、日本人神父になると設計施工者に委ねられている。頭ヶ島天主堂(1919)は、『美術的建築』(中村與資平、東京書院、1917)を参考に鉄川与助が切石積のデザインを決定したなどは一例である。時代の区切りは1927に設けられ、最初の日本人司教の誕生時である。 第二に、鉄川与助と同様に長崎の教会堂建設を手掛けた大工・川原家の事績を調査整理できたことである。川原家は、川原久米吉(1819-1903)―忠蔵(久米吉四男、1861-1939)―正治(忠蔵長男、1891-1969)・伝次郎(忠蔵三男、後に片山家に養子、1897-1982)の3代4人が教会堂建設に携わった。手掛けた教会堂は、①大浦(1864)、②江袋(1882)、③旧馬込(1890)、④旧大名町(1896)、⑤神ノ島(1897)、⑥黒崎(1920)、⑦山野(1924)、⑧津和野(1931)、⑨中町(1951)、⑩善長谷(1952)。共通項があり、外観は切妻屋根で正面に山型の壁を見せ、内部は3廊式、アーチは半円形を採用、身廊中央部のアーチは半円が少し扁平になり、リブ・ヴォールト天井の面部は漆喰塗ではなく板張りとする。 第三に、青森県弘前の教会堂を手掛けた大工堀江佐吉、山形県鶴岡の教会堂を手掛けた大工相馬富太郎、京都・舞鶴の教会堂を手掛けた地元大工などを現地調査し、長崎の教会堂を広い視野で比較検討した。 第四に、平成28年度に調査した出津救助院ド・ロ神父がもたらした道具の実測調査データの継続整理である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
平成30年度に予定していた研究計画は、①平成28・29 年度に明らかにしたことを総合的に検討する。②パリ外国宣教会のわが国における教会堂建設と授産事業を実証的に再検討し、歴史的価値を再評価する。③成果のとりまとめ、である。 このうち、②については、大工・鉄川与助(1864-1976)の1900年頃から1950年頃に手掛けた建築総覧の作成、鉄川与助と同様に長崎の教会堂建設を手掛けた大工・川原家の事績の調査整理、青森・山形・京都の教会堂を手掛けた地元大工と教会堂の現地調査、から当初の予定よりも遙かに多くの実績を得ることができた。これまで続けてきた調査研究が大きく進展した結果であり、私自身としてはありがたいことであるが、一方で、取りまとめに時間を要すこととなり、1年間の期間延長をした。 よって、全体にはやや遅れていると判断した。
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今後の研究の推進方策 |
1年間の期間延長が承認された2019年度は、前半に大工・川原家の資料調査の継続と展覧会開催、五島・奥浦地区の資料館所蔵資料(五島キリシタン復活の命を受けたフランス人宣教師フレノー、マルマン氏伝来資料)調査を実施し、後半に本研究が目指す「パリ外国宣教会がもたらした道具・技術に関する研究―宣教師による教会堂建設の再評価」について取りまとめを行う。 すでに、1930年頃以前の外国人宣教師による教会堂建設と大工の役割について、鉄川与助、川原正治、他地域の事績から明らかになりつつある。また現存しない教会堂についても、『明治三十三年中、第一課事務簿、社寺部神仏道以外ノ宗教ニ関スル届』(長崎歴史文化博物館所蔵)などから往時の様相について検討が済んでいる。 これらの資料を総合的に検討することで、宣教師による教会堂建設の再評価について研究を深化させ、とりまとめられる予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
平成30年度秋に、長崎黒崎地区の大工・川原家の資料、及び、五島・奥浦地区の資料館所蔵資料の存在が明らかになった。両資料は、研究課題をより明らかにする重要な資料で、研究の深化に欠かせない資料である。これらの調査と分析を行うため、1年間の期間延長を行った。以上が、次年度使用額が生じた理由である。 使用計画は、これらの調査と分析、および展覧会開催と論文投稿である。
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