研究課題
骨格筋細胞の分化過程における代謝型及び線維型決定の仕組みをエピジェネティクス制御の観点から解明することを目的として、ヒストン脱メチル化酵素LSD1の機能解析を行った。特に骨格筋の表現型可塑性に影響を及ぼす環境因子がLSD1によるエピゲノム制御にどのように関わるかを検討した。これまでの研究で、LSD1は好気呼吸及び遅筋線維遺伝子の発現を抑制することにより解糖系優位の速筋型の分化を誘導することを見出している。ChIP-seq法による網羅的解析の結果から、LSD1が好気呼吸及び遅筋線維遺伝子をヒストンH3K4脱メチル化を介して直接制御しているが新たにわかった。また、飢餓応答ホルモンであるグルココルチコイド(GC)がLSD1の機能を抑制することにより遅筋遺伝子発現を誘導する可能性を見出した。その機序として、グルココルチコイド受容体(GR)シグナルを介したLSD1タンパク質の分解が誘導されることを突き止めた。さらに、マウス骨格筋において遅筋優位の組織と比較して速筋優位の組織でLSD1の発現が高いことがわかった。これらの結果から、LSD1は好気呼吸及び遅筋線維遺伝子の発現をエピジェネティックな機序で抑制することにより速筋線維を誘導すること、その機能が全身性の栄養・ストレス環境の影響を受ける可能性が示唆された。本研究成果は、環境因子が長期的な細胞記憶を生み出す仕組みの一端を示すものであり、代謝疾患等の生活習慣病発症機序の解明に資すると考えられる。
2: おおむね順調に進展している
1. LSD1によるエピゲノム制御の網羅的解析骨格筋分化過程におけるLSD1によるエピゲノム制御の全体像を明らかにする目的で、抗LSD1抗体を用いたクロマチン免疫沈降と高速シークエンス解析(ChIP-seq)を行った。分化初期と比較して分化後ではゲノムDNA上のLSD1結合領域が大きく減少していたことから、LSD1は分化初期の遺伝子制御においてより重要な役割を果たしている可能性が示唆された。さらに、LSD1阻害下におけるヒストンH3K4メチル化の変化を網羅的に解析した結果、LSD1の結合が強く認められた領域ではLSD1阻害によりトリメチルH3K4の亢進が顕著に認められた。このことからLSD1はH3K4メチル化バランスを調整する役割を担っていることが示唆された。重要なことに、好気呼吸及び遅筋線維遺伝子においてLSD1が直接結合し、H3K4メチル化レベルを調節していることがわかった。2. GCシグナルを介したLSD1機能制御GCは速筋を抑制し遅筋優位の筋線維構成を誘導することが知られている。この点を踏まえ、GCがLSD1による遅筋抑制に対して抑制的に働く可能性を検討した。筋芽細胞において、GCアナログであるデキサメタゾン(Dex)処理によりLSD1タンパク質量が低下することを見出した。さらに、この現象がGRを介したユビキチンE3リガーゼであるJade-2の発現誘導によることを突き止めた。また、Dex持続投与マウスにおいてLSD1減少とJade-2誘導が見られたが、GR欠損マウスでは認められなかった。また、マウス骨格筋において、遅筋優位なヒラメ筋と比較して速筋優位な腓腹筋の方がLSD1量が有意に多いことがわかった。
上記の結果から、LSD1が好気呼吸及び遅筋線維遺伝子の発現をH3K4脱メチル化を介して抑制することで速筋プログラムを促進することが明らかになった。また、この仕組みにおいて全身性の栄養・ストレス状況を感知する内分泌因子が重要な役割を果たすことがわかった。これらの状況を踏まえて、今後は骨格筋形成及び再生の過程で、LSD1が線維型決定にどのような役割を果たすかを、マウスモデルを用いて解明する。筋芽細胞特異的LSD1欠損マウスを作成し、様々な環境ストレス下(有酸素運動、高低温、過低栄養)で飼育した後、筋線維の性状、運動パフォーマンスを解析する。また、遺伝子発現やエピゲノム変化についても解析を行う。胎生期のストレス環境が出生後及び成長後の筋機能に投影されるエピジェネティックな仕組みを解明する目的でLSD1欠損マウスを用いた試験を行う。妊娠マウスに様々なストレスをかけ、出生後のマウスの骨格筋の機能解析及びエピゲノム解析を行う。さらに、代謝疾患における骨格筋代謝機能の低下においてLSD1がどのような役割を果たすかを検討する。野生型及びLSD1欠損マウスに高脂肪食を給与した後、体重、血糖値、コレステロール値などの全身性エネルギー恒常性に関わる項目を解析する。GC以外の環境因子がLSD1機能に及ぼす影響とその仕組みについて、培養筋芽細胞を用いた分子細胞生物学的解析により検討する。これらの検討を行うことにより、環境に応じた骨格筋の表現型可塑性を生み出すエピジェネティクス機構の全容解明を目指す。
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