本研究は、2014年に我が国で発生した「歴史的」誤報事件、さらに2016年のイギリスにおけるブレグジット国民投票やアメリカのトランプ大統領当選により流行語となった「ポスト真実」や「フェイクニュース」をきっかけとして、「あいまい情報」研究のメディア史的アプローチをさぐるべく開始された。この状況で必要なのはフェイクニュースを含む「あいまい情報」を長い射程で捉えるメディア論、すなわちメディア史である。この立場から、ラジオ放送開始後の新旧メディアの関係性に着目した論文をまとめた。その理論的成果が『ファシスト的公共性―総力戦体制のメディア学』(岩波書店・2018年)であり、さらにメディア・リテラシー向上にむけた社会的貢献をめざして『流言のメディア史』(岩波書店・2019年)をまとめた。 『ファシスト的公共性』においては、特に序章「<ポスト真実>時代におけるメディア史の効用」で大衆的公共性研究にむけた歴史的アプローチを検討している。同書は2018年11月に第72回毎日出版文化賞を受賞した。 『流言のメディア史』では「メディア流言」という新しい概念を提出し、マス・コミュニケーション研究との連続性からあいまい情報を考察した。今日の私たちの情報接触はますますメディア(広告媒体)依存を強めており、大半の流言がメディア経由の流言となっている。この「メディア流言」は、「正しさを規範する広告媒体」と「あいまいさを本質とする流言」の複合、すなわち「表面的に正しく、本質的にあいまいなメッセージ」をリアルに表現できる概念である。その歴史的変遷を跡づけることで、メディア流言を情報の崩壊モデルとしてではなく受け手の情報構築モデルに位置づけた。この意味で、メディア流言について語る者はすべてその送り手でもある。結局、「ポスト真実の時代」で問われているのは、受け手=送り手となったメディア流言と向き合う私たち自身の姿勢なのである。
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