①旧高島炭砿の長崎市高島の炭砿住宅、職員社宅の建築図面620枚を収集した。収集図面と現存施設の存在確認を行い、現在も4棟の旧炭砿住宅が存在していることが確認できたが、他は全て存在しないことが確認された。②収集した図面のうち、現存はしていないが当時の写真と一部の図面から大正中期には既に存在していた建物は明らかになった。このほか図面から9棟の建築の復原が可能でその概略模型を作製することが出来た。③前項で作成出来た9棟炭砿住宅模型のうち3棟の元居住者を確認し、居住時期、家族構成、生活状況についてのヒアリングを行った。この3棟は、1つが中廊下型7階建て2DKで公団51-Cに近いが浴室を持たない、他2棟は片廊下型6階建てで当時は6階に居住していたが、高齢単身のため現在は2階に移転している。居住3棟ともに居住時期は閉山前10年程度で現在も高島町内の居住者であり、家族構成は変化したが、寝室などの私室の位置は変わらず子供部屋等に使用した部屋が物入れへの変化で寝室の移動や改装はない。④当時の生活から台所の新たな電化製品の増加を除き変がない。旧来の平面型の完成度のままであるといえ、生活スタイルが高齢化にもかかわらず新たな生活への否適応と住戸平面の先進性がこれを許容してきたという傾向を仮説できた。⑤高島炭砿の中高層住宅に居住した経験者にとって先進的平面と人口減少にともなう2戸借り上げ対応によって人口変動に対応できた。また、閉山と流出による地域の大きな変化は、地域のインフラの必要性を生んだ、なかでも浴室を持たない大半の炭砿住宅居住者にとって浴場施設はコミュニティの場で有り、炭砿以外の居住者との交流の場であった。炭砿住宅の平面型がそのまま残存しながら旧世代と新しい世代、炭砿以外の農・水産業とを結びつける施設要素となったことは生活文化としても興味深い物といえる。
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