本研究は、原子力政策の基盤となる倫理原則を再構築するために、福島事故を一つのケーススタディとして討議倫理の観点から捉え、〈討議の当事者としてのステークホルダーの位置づけ〉と、〈原子力政策の策定において手続き的に妥当な討議のあり方〉の2点についての規範を明らかにすることを目的としてきた。そのために、福島第一原子力発電所事故についての事故調査報告書等の各種文書、原子力政策についての学術図書・論文、メディア報道、世論調査、および原子力発電が争点の一つとなった各種選挙の結果などを総合的に分析し、原子力発電所の運用に関する技術倫理上のジレンマの性質を整理するとともに、福島事故を契機として原子力発電の倫理的基盤を討議倫理によって構築するという企図が、日本社会から希薄になっている状況が現出していることを指摘した。最終年度の最大の成果は、オープンダイアローグをはじめとした「ナラティヴ・アプローチ」と呼ばれる新しい対話のあり方について検討したことである。オープンダイアローグは、フィンランドの精神医療で考案されたもので、専門家の対話に患者らが「共在」(発言せずに傾聴する)し、次に患者たちの対話に専門家が「共在」するという過程を繰り返す「リフレクティング」と呼ばれるプロセスを繰り返す対話形式を基盤としている。対話のテーマは「自分たちの抱えている問題」であり、専門家同士の対話でも「専門家として抱えている問題」が話し合われる。これは、医療の文脈を超えて、政治的・社会的な課題の討議にも応用されうるものであり、事実そのような試みもなされている。わが国の原子力政策をめぐる対話が行き詰まり感を呈している現状に鑑みれば、ナラティヴ・アプローチによる新しい対話のあり方は、さらに検討する価値のあるものと思われた。
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