研究代表者は今年度、アビ・ヴァールブルクの『ムネモシュネ・アトラス』における歴史経験の諸相を、C・セヴェーリが「キマイラの原理」と呼ぶ記憶術的思考やH・ブレーデカンプの提唱する像行為(Bildakt)論、および、B・ラトゥールのアクターネットワーク理論、さらにはH・ホワイトの歴史叙述論と結びつけた論考を執筆した。この論考は、研究代表者が編者のひとりとなって編まれた、総合的なイメージ学の論集『イメージ学の現在──アビ・ヴァールブルクから神経系イメージ学へ』(東京大学出版会)に発表され、さらにそのドイツ語版は、これも同様に研究代表者が編者を務めた同趣旨の論集に収められる予定である。 今年度はさらに、ヴァルター・ベンヤミンの歴史経験論の吟味を通じてその重要性を発見した思想家フローレンス・クリスチャン・ラングに関し、ベルリンでアーカイヴ資料を調査した。ラングは『ドイツ悲劇の根源』執筆時のベンヤミンに多大な影響を与えており、それ以前にはミトラス教研究をはじめとする古代ヨーロッパの宗教をめぐる独自な思想を展開した人物である。そのミトラス教研究はヴァールブルクの弟子ザクスルによる研究の先駆をなす点でも注目される。 こうした理論的考察と並行しつつ、今年度は、文学、映画、写真、音楽を媒介とした歴史経験についての作品分析を実施した。文学では来日した小説家パスカル・キニャールと対話の機会をもち、その作風と『ムネモシュネ・アトラス』との共振関係について議論した。映画ではネメシュ・ラースロー、写真では東松照明や牛腸茂雄を中心とした論考を準備した。またあらたに音楽における歴史経験を論じるため、デヴィッド・ボウイの楽曲について、とくにその歌声を歴史経験論における色彩の問題と関連づけ、詳細な作品分析を進めている。
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