最終年度は、昨年度までを継承して昭和中期までの楽譜資料収集と分析を中心に行った。この時期はオーケストラ・スコアなど、複雑な楽譜の制作も広がっている。圧倒的に技術レヴェルがあがった証左であるが、多くはないながらも立派な楽譜の制作は、委嘱者、出版社等々の資料をひとつひとつの作品について丹念に追う作業を行った。なかでも、紀元2600年奉祝の美しい総譜の制作は、遺された手稿譜とそれを出版譜へと起こす際の資料を丹念に当たった。その際、日本での出版譜と、その後本国のドイツやイタリア、イギリスで制作された出版譜との違いも考察の対象にした。 最終年度ではあるが、楽譜制作転換期ともいえる1800年前後の出版譜をもう少し包括的に検討するために、ザルツブルクのモーツェルテウムに2週間ほど滞在して、モーツァルトおよびその周辺の出版スコアやパート譜、ヴォーカル・スコア等を閲覧し、詳細に変化の跡をたどった。ことに、オペラの楽譜には実用上の問題から制作過程でのさまざまな発見があった。これはオペラの出版譜制作が近年まで稀であった日本では、まずあり得ないことである。 モーツァルテウムの学芸員とともに、こうした楽譜を検討し、ことに「見やすい」楽譜、「美しい」楽譜制作を支える美学について多くのディスカッションを行い、いろいろな示唆を受け、この分野の奥行きをあらためて感じることができた。 楽譜制作にかかわってきた技術者のインタヴュー調査を行ったが、そこでの発言を重要なオーラル・ヒストリーとして残すことに関しても、その意味や意義を十分に説明して、了解を得た。どのような形で公表するかは、今後の課題ともなった。いずれにしても、慎重に行わねばならない。提供された資料や情報は、あくまでも本研究の枠内で保管し、どのような形であれ、公表する場合には必ず当事者の了解を取った上でこれを行うことにする。
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