本研究の目的は、日本映画が辿る認知症の表象を明らかにするため、認知症患者の介護をめぐる家族像・社会像を検出することであった。さらに、その日本映画の認知症表象を、外国の認知症映画のそれと比較し、認知症映画の最先進国である日本映画の独特な認知症の表象を浮き彫りにすることであった。 最終年度(2018年度)には、外国映画のうち中国の例に焦点をあてて、日中の映画における認知症表象の違いを明らかにし、本研究の全体をまとめることに努めた。中国映画は外国映画のなかでも、とくに注意を要するケースだと考えていた。なぜなら、外国映画における認知症のテーマは、日本から30年遅れの2000年代に入って出現しはじめたのであるが、中国だけが 1995 年という早い時期に認知症映画制作を開始したからである。その中国映画の特別な状況は、最初に中国認知症映画をつくったアン・ホイ監督が日本人を母に持ち、『恍惚の人』の公開時に来日していたことと関係ある、とわたしは考えていた。調査・考察の結果、中国映画の認知症表象はやはり日本と類似した面があり、ほかの外国映画(たとえばアメリカ、イギリス、カナダなどの映画)とは一線を画すことが証明できた。しかし、日本映画は初期の段階にはたしかに中国映画がモデルにした特徴が強く出ているものの、その後は多種多様な患者像と介護者像を出現させ、中国映画を引き離していったことが、日中の相違点として挙げられることも突き止めた。 アメリカやイギリスなどの映画における認知症患者は、義理の娘などの家族の世話になることはなく、老いた配偶者の手中に委ねられるという共通性をもつ。夫婦という単位が社会の基本として確立している文化圏では、老々介護の形態をとりやすいということを解明することもできた。 そうした外国映画の認知症表象と比較しながら、日本映画の認知症表象史を構築したことが、本研究の成果である。
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