研究最終年度にあたる当該年度は、キプリングの小説の特徴として広く受け入れられている<帝国主義的マスキュリニティを反映した「男の世界」>の陰で後景化されている<女性キャラクターが重要な位置を占める「女の世界」>の前景化を意図し、その存在意義の解明を試みるという本研究の目的を果たすために、前年度に研究対象に据えた後期作品群の中から第一次世界大戦を背景とする『園丁』を選んで論考の中心に据え、ヒロインを軸に展開する、同作品の「女の世界」としての側面に焦点をあてることに注力した。 具体的には、「東京理科大学紀要教養編 第50号」掲載論文(「『園丁』にみる作者とヒロインとの距離」)の執筆と、キプリング協会第20回全国大会シンポジウム(「キプリングを問う―文学批評、英語文学、映像化から見て」)から得られた知見の整理が主たる活動内容となる。前者においては、自己を語ることを極度に避けていたキプリングが、恐らくもっともパーソナルな出来事であろう息子の戦死がもたらした内面の激しい葛藤、悲哀、憤怒を、多数の男性キャラクターではなく女性キャラクターを選んで投影した痕跡を伝記的事実、書簡の研究を通じてテクストから探しだすことを目指した。研究の結果、『園丁』におけるヒロインは、キプリングが自己を重ねていたと思われる要素を多分に持つキャラクターであり、同作品が女性キャラクターが重要な位置を占める作品のひとつとして位置づけられるという確かな手ごたえが得られた。後者においては、キプリングおよびキプリングの作品に対する文学批評の動向の変遷を再確認する機会を得た点、また、本研究においては目配りをする余裕がなかった英語文学という括りの中でのキプリング作品の意義に目を開かれた点、さらに、映像化されたキプリング作品から時代相を読み取る試みの必要性を認識した点に関して、今後の研究の発展に貢献し得る大きな刺激を受けた。
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