最終年度には、訳官使と通信使の研究にかかわる国際シンポジウムの共催を4回行い(名古屋大学で2回、韓国・西江大学校で1回、島根県立大学で1回)、そのうち2回で口頭発表を行い、ほかの2回でもコメンテーターとして参加したり討論に参加をした。これらふたつの口頭発表を踏まえて「「柳川一件」考」『歴史の理論と教育』152号を公刊し、近世初頭における日朝国交回復過程における画期と評価されてきた柳川一件について再検討する端緒を得た。それ自体は、1600-1630年ころにおける日朝国交回復交渉の史的再評価を要請するものだが、同時に「鎖国」制度として理解されてきた近世日本の国際関係史についても通説的理解をそのおおもとに立ち返って再検討する契機ともなり得ると考える。 本研究全体としては、近世日朝外交史研究における制度史的検討すなわち以酊庵輪番制を朝鮮外交文書作成にかかわる江戸幕府の外交システム変更との通説的理解を再検討するとともに、外交儀礼の具体的様相を追究しながらその儀礼行為に含まれる文化的要素への着目から出発したものであった。ここでいう文化的要素とは、中国文化に淵源をもつような漢詩・絵画および芸能と、それらがやがて日本化していった諸文化のことを指す。これらのうち絵画に関わってはある程度まで事例収集を進めて整理を進めることが出来た。芸能については、先行研究を踏まえたさらなる発展的検討がが求められる。 一方で、本研究を進める過程で、朝鮮通信使に対する近年の韓国・中国学界での関心の高まりに接することとなった。韓国・中国それぞれの関心や収集対象となる関連資料も異なり、また日本での研究は韓国・中国での研究より先行しているが、韓国・中国両国における関連史料収集の動きおよび当面の研究成果に学ぶところが少なくないことに気づかされた。これらを踏まえて本研究の成果をさらに展開させたい。
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