本研究は、現代のウランに匹敵する戦略物資であった木灰をめぐる18,19世紀の欧米列強とりわけ英国を取り上げ、大英帝国の国力の背景には、インドの硝石と北米の木灰とを独占し、大量の黒色火薬の製造により軍事力を強化できたからとの仮説に立つ。 先行研究で、化学合成火薬出現まで唯一の火薬であった黒色火薬の75%を占める硝酸カリウムは、硝酸カリウムに加え硝酸カルシウムや硝酸ナトリウムなどが混じる天然硝石や人造硝石に木灰を混ぜて煮る灰汁煮の技法で、木灰に含まれるカリウムをカルシウムやナトリウムに置換して製造する。つまりカリウムは現代のウランに匹敵する重要元素であり、木灰は戦略物資であった。 天然硝石は英領インド東部のビハール州から大量に英国に輸出されていたことは数多くの先行研究で明らかになっている。またカリウムの純度の高い木灰がアメリカから大量に英国に輸出されていたこともわかっている。本研究ではインドの天然硝石と北米の木灰で硝酸カリウムを製造していたとの仮説をたてた。しかし、実際にはインドで天然硝石を採取する段階ですでに木灰を混ぜて硝酸カリウムの含有率を高めていた。英国本土では木灰をあまり使わず、不純物を除去するためにインド産天然硝石を溶解し再結晶させ高純度の硝酸カリウムを製造した。米国の木灰は、火薬製造よりも主に染色やガラス、石鹸の製造に用いられていた。他方で年間何万トンもの天然硝石を採取したインドでは木灰や灰汁煮用の木材をどのように入手したかはなお不明である。 19世紀初めに発見された硝酸ナトリウム主体のチリ硝石も木灰で硝酸カリウムを製造すると考えた。しかし、火薬製造をしていた米国デュポン社によれば、硝酸ナトリウムに黒鉛でコーティングすることで潮解性の高い硝酸ナトリウムを硝酸カリウムの代わりに火薬として利用する特許技術を発明し、木灰は使用していなかった。
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