研究課題/領域番号 |
16K13306
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研究機関 | 北九州市立大学 |
研究代表者 |
山口 裕子 (山口裕子) 北九州市立大学, 文学部, 准教授 (70645910)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 9月30日事件 / インドネシア / スラウェシ / 記憶の不随意性 / 過去への連累 / 集団的暴力 |
研究実績の概要 |
本研究は、国民草創期のインドネシア最大の分水嶺となったクーデター未遂とされる「9月30日事件」と、その後の共産党(PKI)粛清に揺れた1960年代以降の地方社会の動態とその今日的意味を、当事者らの語りと当時の国内外情勢、および現代の民主化動向とを相互反照させて探求することを目的とする。 2年目にあたる平成29年度は、ジャカルタと東南スラウェシ地域で実地調査を継続して行うとともに、すでに収集した文献の研究および現地関係者の語りのトランスクリプトと分析を、以下について重点的に進めた。1. 9月30日事件とその後の集団的暴力の背景と当時の状況の分析。事件の黒幕をPKIとする見解が趨勢となり、その排除を謳う集団的暴力が横行した国内外の背景を、a. 20世紀初頭以降の民族主義運動から続く共産主義と反共産主義間の分裂、b. 独立後の農村における階級的対立とイスラームや共産主義の関連、c. 西イリアンやマレーシアをめぐる紛争状況、d. 東西冷戦とアメリカによるインドネシアの反共化の目論見などの諸点から考究した。2. 地方社会の情勢と過去の集団的暴力の今日的意味の考察。当該地域では1960年代末から政治家や知識人が「PKI(の活動や関与)」の咎で逮捕され、拷問により落命したり、保釈後に社会的差別を受けたりした。一連の出来事は、そのピークの年にちなんで「69年事件」と名づけられ、2000年代初頭に民主化を背景にこの地で隆盛した文芸運動では、その顛末について取り上げられるなど、地元社会では相当程度定式化した集合的記憶が形成されている。他方で当事者の経験の語りからは、その集合的記憶に収斂されない、悲劇的な暴力とは異質の諸特徴が看取された。3. 以上の多元的な特徴を鑑み、その分析の骨子となる記憶の不随意性や語り手の主体の複数性をめぐる諸理論の検討を進め、口頭発表および複数の論考として公開した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成29年度は特に、1. 過去の事件の再構成および捕捉と関係者の経験の語りのトランスクリプトと翻訳および分析、2. 暴力的な過去へのアプローチ方法についての考察を相互に反照させながら進め、成果公開の面で進捗が見られたため。具体的には、1. については、a. ポスト・スハルト期以降国内外で探求が進む同時代の社会状況について、これまで報告例が乏しかった東部インドネシア地域史の再構成の視点から語りの分析をし、さらにb. 現在の生活においてその過去の出来事が想起し語られるモメントや、暴力的な過去からは逸脱するようなエピソード、「笑い」や沈黙といった諸特徴に注目して分析した。文化人類学やオーラル・ヒストリー研究の成果を参考に、それらが語り手を「被害者」などの一元的なアイデンティティから解放し、創造性や尊厳を与える側面を析出した。2. の方法論をめぐっては、主体によって制御されない記憶の側面や、一貫性を欠いたナラティブの分析に関わる先行研究を渉猟した。特に歴史を人間による構築物としてきた旧来の歴史学に対抗しようとする、近年の歴史学や人類学における「記憶の不随意性」や人知を越えて現在に回帰する歴史に関する[冨山2006, 太田 2006]らの議論を参照した。また、想定される「客観的史実」の再構成にそって個人の語りを取捨選択するのではなく、語りを聞き手とのコミュニケーションを初めとするより広い文脈で動態的に捉える手法については、実験的民族誌やライフストーリー研究における「対話的構築主義」などを援用した。さらに、過去を探求しつつ、語りが過去の出来事以外について伝えるものへの接近については、人間と過去とが切り結びうる多様な関係性をめぐる「過去への連累」や「歴史への真摯さ」の議論[モーリス=スズキ 2013、2014]などを参考にした。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度となる平成30年度は、研究の総括および公開を念頭に置きつつ、下記のとおり実地調査や資料の考察を継続して行う。 1.インドネシアでの実地調査を行う。被害者およびその家族や関係者に対して、引き続き聞き取りをおこなう。特に、これまでの考察の結果を調査協力者に提示して、それに対するフィードバックを踏まえた対話的な考察を行う。加害者への接近も試みたい。すでに東南スラウェシ軍分区の所轄だった在マカッサル(南スラウェシ州)の軍関係施設関係者の名前がいくつかあがっているため、南スラウェシ州で当事者および関係者に対してインタビューを実施し、関係資料の収集を行う予定である。 2.インドネシア近現代史の再考。民主化後の国史再考の機運の高まり中で、国内外で、植民地期以降の近現代史の研究成果が多数刊行されている。それらの検討により、スラウェシの状況を相対化していく。 3.人々の語りが内包する多様な性質の検討。a.公的な記憶や他者の記憶の「流用」の問題。b. 暴力的な過去を物語ることが、当事者の記憶や語り手の負のアイデンティティを固定化するという「暴力性」や、反対に過去の暴力に一定の「テロス(終着点)」を与える効果。c.「語りえないこと」や「ストーリーの固定化」を強いられた語りの記録と解釈の問題。d. 加害者への接近の困難さ等、諸課題について先行研究を幅広く参照しながら引き続き考究し、暴力の記憶や想起をめぐる議論を深化させる。 4.関連諸学会や研究会での口頭発表、学会誌への投稿などによる成果公開を積極的に行う。その一環として、インタビューでの口述資料をトランスクリプトおよび翻訳する作業を進め、外部者も参照可能な資料集などの形で刊行することを計画している。広く紛争と記憶などをめぐる関心を共有する人類学、歴史学、インドネシア地域研究の専門家などとの間で領域横断的な研究会を組織することなども計画している。
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次年度使用額が生じた理由 |
(理由)研究はおおむね計画どおりに順調に進んでいる。文具等の購入を節約でき、物品費に余剰が生じたため。また可能な範囲で資料をデジタル保存するなどして複写費用を節約できたため。
(使用計画)日本およびインドネシアでの実地調査と資料収集を行う。また、研究推進の過程で歴史学および隣接諸分野の先行研究なども広く研究する必要がでてきたため、より広範な資料収集、購入、複写などが必要となる。上述のとおり、最終年度にあたる本年度は成果公開により比重をおく。口述資料のトランスクリプトと翻訳をした資料集の刊行、各種学会研究会での口頭発表と論文投稿の準備などにも有効に研究費を活用していく。
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