本研究は、1965年にジャカルタで発生したクーデター未遂「9月30日事件」と、その後インドネシア全土に拡大した共産党勢力一掃を名目とする大量虐殺、逮捕、拷問などの集団的暴力およびその今日の意味を、人類学的に考察することを目的とする。特に先行研究に乏しい東南スラウェシ州のブトン社会に焦点化し、実地調査と文献研究により探求した。(1)実地調査では特に、政治囚の流刑地の一つので州都の西方約70kmに位置する寒村Aでの聞き取りが進捗した。A村には1960年代に政治囚として連行されたブトン人らが現在も数名居住し、ライフヒストリーを聞くことができた。それ以前の調査からはブトン地域で「赤狩り」が頂点を迎えるのは1969年頃と捕捉されたが、1965年末ごろから一部の知識人の逮捕が始まり、A村へは1979年までに何段階に分けて入植、開拓が行われたことなどが明らかになった。(2)文献研究では行政文書などの検討によって同時代の政治社会状況を考察し、インドネシア内外の諸研究[Taufik 2012; 宮城2017など]に基づき9月30日事件と背景の国際関係を捕捉した。(3)インタビュー資料は過去の集団的暴力以外の多様な情報や特徴を示し、地方の近現代史の探求以外にも、多角的な分析が必要かつ可能である。そこで最終年度の事業として、関連するインタビュー資料(2011年以降のべ約80人分)を、現地人助手の助力を得て全て現地語で逐語的に書き起こした。この資料については、人間が過去の暴力の経験に向き合い、語ることの多元的な意味をめぐる人類学や関連諸分野の先行研究と、各種研究会への参加をとおして分析を進めており、成果は論文などで随時公開している。さらに書き起こし資料を関係者のプライバシーに配慮した形で修正し、概要に関する日本語のインデックスを付けて第三者にもアクセス可能な資料集として公開する準備が進捗している。
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