本研究では、行動経済学で指摘されてきた人間行動の非合理的な側面が、非常時でいっそう顕著に現れることに着目して、非常時でも行動規範として十分に機能する非常時対応マニュアルのあり方を考察してきた。福島第一原発事故の対応において、比較的合理的な非常時対応マニュアルが現場に備わっていたにもかかわらず、現実の事故対応では、マニュアルから乖離していた。実際に観察された事故対応手順には、行動経済学で指摘されてきた次のような人間行動のバイアスが明らかにされた。 第一に,プロスペクト理論の恐怖効果である。事故の初期段階において事故状況を過大に評価したために、徴候ベースの手順書に従うべきであったのにもかかわらず、もっとも高い危機に対応したシビアアクシデントの手順書に従った。第二に,プロスペクト理論の希望効果である。1号機の非常用復水器については、「もしかして機能しているのではないか」という過度に楽観的な期待が現場を支配し、1号機への抜本的対応が大幅に遅れた。第三に,現在バイアスである。1号機から3号機の原子炉に対して、低圧ポンプによって持続的に原子炉を冷却できる体制を構築すべきであったのにもかかわらず、原子炉の即座の冷却が過度に優先されたために、持続性のきわめて低い高圧ポンプによる冷却方法が選択された。第四に,狭いフレーミングと時間的非整合性が危機対応に関する意思決定を歪めてしまう可能性である。 本年度は,こうして明らかにされた研究成果を『〈危機の領域〉非ゼロリスク社会の責任と納得』という単行本にまとめて勁草書房から公刊した。
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