監査上の懐疑を、懐疑の範囲(幅)と懐疑心の程度という二つの軸の枠組みでもって考える本研究において残された本質的な問題は、懐疑の範囲に関する監査命題の設定の在り方に関してである。財務諸表監査の立て付けからすれば、肯定的命題(positive proposition)を設定することは当然であるが、監査人が直面している監査状況によっては、否定的命題(negative propositions)を設定し、それを否定することをもって、反対に究極的立証命題(財務諸表の適正表示)を立証する場合もあり得るのではないか、との疑問も生じうる。今回の研究は、否定的命題の問題をもっぱら取り扱っている。 言明の監査の立て付けは、言明の当事者がなす肯定的主張(財務諸表という言明に経営者が織り込んだ会計的主張)を監査人がまず受け入れたうえで、監査人がその主張が蓋然的な意味において成立することを証拠によって裏づける、という構造を有する。つまり、財務諸表監査において立証の対象として設定される監査命題は、その意味のうえで、究極的立証命題に対して肯定的な形で(affirmatively)設定されなければならない。つまり、否定的意味を有する監査命題を設定し、それを否定するという形式は言明の監査においては許容されない。 監査人が肯定的命題の立証に従事するということは、財務諸表監査の認識活動は構造的に「確証バイアス」から免れることはできず、むしろそのことが監査人の懐疑心の程度を引き下げる(抑制する)効果を有する。監査人の「個人的特性」(trait)としではなく、財務諸表監査そのものが本質的に抱えている構造的特徴として認識することが必要である。これこそ、言明の監査における監査上の懐疑と行為の監査における監査上の懐疑とを明確に分ける境界であることを意味する。
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