研究課題/領域番号 |
16K14368
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研究機関 | 山梨県富士山科学研究所 |
研究代表者 |
奥矢 恵 山梨県富士山科学研究所, その他部局等, 研究員 (40771689)
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研究分担者 |
大場 修 京都府立大学, 生命環境科学研究科, 教授 (20137128)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 山小屋建築 / 山岳信仰 / 富士山 / 吉田口登山道 / 石室 / 近代化 |
研究実績の概要 |
本年度は、主に吉田口登山道の山小屋建築に焦点を当て、近世期から昭和期における古文書・絵図・図面などの史料調査、山小屋関係者への聞き取り調査を行った。また吉田口に留まらず、静岡県側の富士宮口・須走口・御殿場口を踏査し、各山小屋の現状を把握するとともに昭和30年代以前に建設され現存する山小屋を確認して、うち6軒について実測調査を行った。奥矢は全体統括と各調査を、大場は主に現地踏査・実測調査を担当した。 これらを総合して、①近世期における山小屋建築の成立過程とその形態、②明治・大正期における山小屋建築の近代化の契機、③昭和期の富士スバルライン開通前における山小屋建築の近代化の進展とその様相 といったテーマを設定、これに沿って整理・分析し、その成果を2016年度日本建築学会関東支部研究発表会にて報告した。 吉田口の山小屋は近世期より「石室」と呼ばれ、富士登拝のシンボルの一つであったが、実際には石造ではなく、木造の小屋を基盤にして周囲に噴石を積み、過酷な自然環境に対する防御性を高めたと考えられる。近世以前に五合目下に建てられた中宮小屋を起源として、近世初期には五合目上の祠をもとに宿泊機能をもつようになり、近世後期には富士講の隆盛によって規模を拡大した。明治期には冨士登拝が登山へと変化し、大正期にはじめて洋小屋が導入された。昭和期の太平洋戦争までにその代名詞であった石積みを排除する方向へ変化し、昭和39年の富士スバルライン開通までに半数の山小屋が建て替えや増改築を進めたことが明らかになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
現地踏査・実測調査は開山期の2ヶ月に時期が限られ、また悪天候時や繁忙期には調査できないこともあるが、そうした状況下で全登山道の踏査と一部山小屋の実測調査を完了したことで、その後の分析作業をスムースに進めることができた。
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今後の研究の推進方策 |
2016年度に引き続き、2017年度も富士山の山小屋建築に関する史料調査・聞き取り調査・実測調査を進め、調査精度を上げる。また富士山との比較を行うため、他の山域についても残存史料の把握をすすめる予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
物品費と旅費について、奥矢の所属機関の機材(PC等)・公用車が利用できたため。
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次年度使用額の使用計画 |
物品費は2017年度に新規機材(PC等)の購入に使用し、旅費は大場の調査とともに奥矢の富士山周辺から離れた山域への調査に使用する予定である。
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