日本には3000基を超えるダムが建設されている。役目を終えたダムや老朽化ダムも含まれる背景下、日本初のダム撤去事業が球磨川・荒瀬ダムにおいて実施された。2013-18年の約5年をかけて撤去工事が実施され、本年3月に完了した。 本研究では「ダム撤去に伴い、河川生態系がどう再生されるのか?」に焦点を当てた。特に、湛水域(ダム湖)が解消され、本流と支流とが流水ネットワークとして再接続することで、流水環境に適応した水生昆虫の集団構造や遺伝構造がどう変遷するか?に注目した。 流水棲昆虫であるヒゲナガカワトビケラは、ダムを境界に上流-下流域間での遺伝的分化が報告されてきた。荒瀬ダムの撤去前に(2012-13年)、72調査定点を設定し、各地点あたり約20個体のヒゲナガカワトビケラを採取し、この遺伝子解析を実施した。調査定点には荒瀬ダムの上下流や支流も含む。また、球磨川の上流側に位置し、建設時期やダムの規模などが類似する瀬戸石ダムを対照区とした。20個体を確保できなかった地点においては、可能な限りの個体数を解析した。 遺伝子マーカーとしては、多くの種内多型が検出されたミトコンドリア遺伝子COI領域とマイクロサテライト(MS)マーカーを用いた。並行して、本種の分布域を網羅する分子系統解析を実施したところ、8つの遺伝系統群が検出され、球磨川水系からは1つの遺伝系統群だけが検出された。MS解析では既存マーカーの不適正さが判明し、新たなマーカー開発も実施した。 この結果、ダム撤去前の遺伝構造を詳細に把握できた。流水ネットワーク再生は、アユやウナギの遡上など、目に見える集団構造の変化も生じている。今後、同一地点でのヒゲナガカワトビケラのサンプリングと遺伝子解析を実施することで、ダム撤去前後の比較が可能となる。荒瀬ダム撤去前後での遺伝子流動スケールの比較における「前」段階の知見を十分に蓄積できた。
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