今年度は、子供をもつがん患者の中でも、再発転移後に治療が無効となったがん終末期患者3名と対話する機会を得た。面談では、特別にテーマを設定せず、日頃の思いを自由に語っていただき、傾聴させていただいたところ、患者らの中から何度も繰り返し出てきた用語「死の受容」に焦点をあて、質的に分析した結果を報告する。 患者らは、いずれも病期は終末期であるため、自身の子供たちには医療者や患者本人からすでに終末期であることは説明をうけており、かつ理解もされていたので、本研究の課題である「子供への病状説明の際に生じる葛藤」の時期からは外れている。しかし患者らからは、病状説明時の葛藤については、当然のことながら発言はなかったが、「子供にどこまで自分の気持ちが伝わっているのかわからない」葛藤は継続していた。それでも患者らは皆一様に、「死の不安は無い。自分が死ぬことはわかっているし、受容もしている」と発言されていた。 患者Aはその語りの中から、死を肯定した上で「自己実現のための行動」を起こし、積極的に社会活動を続けていたが、患者Bは「そうするしか(死を受容するしか)方法がないため」の受容であり、肯定とは言い難い。「本当ならもう少し生きたい」という希望は叶わないことを知っている、諦めと共存した受容であった。一方患者Cは、家族背景の複雑さもあり、早々に諦めの境地に達した上、現在の苦境からできる限り早く脱したいという思いと共にある死の受容であった。このように、我が国のがん終末期患者の死の受容は、キューブラー・ロスの死の受容の定義とは異なった側面が見出された。 今後も引き続き日本人ならではの死の受容について、さらに掘り進めていく必要性を感じる研究となった。 今年度は、本来全国の患者への質問紙調査を行う予定であったが、対象者の選定に困難を極めたため、次年度も引き続き調査は継続していく。
|