今年度は英国国立公文書館に保管されている同委員会の1999年までの年次報告書及び1946~1968年の議事録等の追加調査を行い、収集した資料を精読し、この期間に同委員会で取り扱った橋梁の諮問事例を抽出・分類した。ここから、Marlow BridgeおよびLondon Bridgeの事例について関連資料をもとに保全の議論の経緯を整理し、同委員会がこれらの事例にどのように関与したかを明らかにした。また、これらの結果から同委員会が戦後の英国の近代橋梁保全にどのような役割を果たしたか考察を試みた。 調査の結果、1946~1968年の同委員会の橋梁の諮問件数は612件、このうち既存の橋梁の保全や掛け替えが議論されたとみられる事例は41件であった。(ただし詳細が不明なものもあり、実際の事例件数はこれより多いと考えられる。)第二次世界大戦後、同委員会では戦災復興や建設ブームにより諮問件数が増大し、これに伴って橋梁の諮問件数も増加したことを確認した。しかし、原則的に設計案に対してできるだけ早い段階(構想や計画段階)から関与し、計画や工事の主体(主として交通省などの政府組織や地方自治体の担当部局)に追加の検討や専門家の招聘などの提案を示すという点で、戦前からの取り組みに変化は見られなかった。橋梁に関しては小委員会が設置され、新設、架け替え、補修等問わず、事例の実質的なチェックを担当し、近代橋梁などの歴史的橋梁の架け替えや拡幅等については、保全を提案する事例が見られた。また必要に応じて、許認可や補助金等を所管するとみられる政府や大臣に対して同委員会として保全の意見の送付や、各関係機関との協議の設定、橋梁の保存を要望する地域団体やナショナルトラスト等の活動を支援するなどの取り組みも行われていたとみられる。このように、同委員会は戦後の英国の近代橋梁保全に対し、一定の支援を果たしていたと考えられる。
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