本研究では、近代東アジア仏教界の交渉を背景とした元暁(617-686)認識について検討した。近代を起点として、元暁は、韓国民族思想と文化の自負心の象徴として再登場し、民族英雄、改革家、僧軍、通仏教の象徴人物として表像化されたが、それにふれる研究は見当たらず、従来の研究は主に元暁の主要論疏と生涯研究に重点が置かれていた。このような問題意識を踏まえた上で、本研究者は、近代期の日中韓の元暁をめぐる相互認識を文化思想交渉の視点から総合的に考察することを目指した。その成果として、一、元暁関連資料を幅広く収集し国家別、主題別、時期別に目録を作成し、元暁研究史を検討した。また、それらの研究の背景となった主要な事件について紹介した。二、『二障義』『十門和諍論』などに見られる元暁の思想展開の論理を分析し、元暁は「二門」の設定し、相反する主張を両門に配属させて各主張の成立背景を分析し、対論者間の相互疎通 を導こうとしたことに注目した。しかし、このような和諍の試みは、近代以来に会通仏教や民族統一と結び付けられ漠然な統合主義として理解される傾向がつよくなったことを指摘した。三、文献資料だけではなく、元暁を主題とした映像、文化事業、たとえば、小説『元暁大師』(1942)を原作とした映画、ドラマ、演劇、また、元暁をテーマとする文学や公演芸術を分析し、植民地期、軍事政権期、民主化運動期をへる中で、社会、政治、宗教的状況に結びつけられ、元暁が大衆に急速に拡散されたことを確認した。元暁をめぐる髑髏水、瑤石公主、無碍舞逸話などが、拡大解釈、曲解された事例も多数見つかった。このように、元暁像は、近代における西洋宗教の輸入、日本仏教の韓国布教、中国仏教からの独自性確保の要請などのを背景として再構築されており、そのイメージは固定されたものではなく、時代の情況に応じて様々な形で再創出されたことを認識することができた。
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