平成30年度は、これまでにひきつづき、キェルケゴールの日記の読解を進めた。日記NB21(1850年)からNB25(1852年)までを精読し、関連する先行研究(ヨーキム・ガルフ(Joakim GarffのSAK、Kierkegaard Stuidies Yearbook所収の諸論文ほか)を手がかりにして、1850年8月の『キリスト教の修練』の出版以降、最晩年のいわゆる「教会闘争」へ向けて動き出すまでの時期の、キェルケゴールの思考の動きを考察した。 その結果、キェルケゴールは同時代デンマークにおけるグルントヴィらの教会改革運動とは一線を画し、宗教的詩人という立場を固守しつつ、あくまで個人の実存の変革を説き続るところに重要性を見出していたことなどが確認された(NB23:33ほか)。また、神は人間に信仰を要求するがゆえにこそ、聖書には理屈では捉えがたいことがらが記述されているのだという、これまで知られてこなかったキェルケゴール思想の一端を発見することもできた(NB22:86)。 平成30年8月にはコペンハーゲンで開催されたInternational Kierkegaard Conferenceに参加し、セーレン・キェルケゴール研究センターのガルフ所長らと情報交換を行った。同氏の執筆した"His Master's Voice: Om Kierkegaard og Medierne"の邦訳の許可を得るなどした。 昨年度の研究成果を、論文「なぜキェルケゴールは『完結の全集』のアイデアを断念したのか、あるいは、『死に至る病』の出版にこめられた意味」としてまとめ、同論文を『新キェルケゴール研究』に投稿し、掲載された。また、本研究などの成果をもとに、現在編集中の『ドイツ哲学・思想事典』および『ハイデガー事典』に、『死に至る病』「キェルケゴール」といった項目を執筆・寄稿した。
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