研究課題/領域番号 |
16K16729
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
河内 華子 大阪大学, 文学研究科, 招へい研究員 (20709539)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | ネーデルラント / ドイツ(神聖ローマ帝国) / 芸術家 / 移動 |
研究実績の概要 |
①現地調査(申請書における「研究計画」の【第2段階】に相当) 昨年度報告書における研究の推進方策にしたがって、1)南西部と2)北部沿岸地域に重点をおいた調査を行った。5月末から7月末にかけての渡航時には、バイエルン州立古文書館でドイツ南西部の宮廷都市におけるネーデルラント出身芸術家の活動に関する史料を収集した。9月から10月には、エムデン市立古文書館で画家組合に関する史料を中心に調査を行った。また、調査対象とする芸術家の中に、移住前のネーデルラントでの活動期にアントウェルペンを拠点としている者が多く見出されることを踏まえ、アントウェルペン市立古文書館でも重点的な調査を行った。 これらの古文書史料すべての解読を年度内に終えることができなかったため、次年度も引き続き分析を行うものとするが、現時点で明らかになってきていることとして、調査対象の芸術家の多くがドイツ移住後も様々な方法でネーデルラントとの繋がりを保持していたことを挙げておきたい。移民芸術家たちの中には、親族や結婚相手を通じてアントウェルペンやアムステルダムの大都市と繋がりを保っていた例が複数見受けられる(例:エムデン拠点のハンス・ファン・コーニンクスロー父子、ケルン拠点のヘルドルプ工房など)。これらの大都市には購買力の高い富裕層が集中し、そこに集う芸術家の数も流通する作品の量も桁違いであるため、顧客や販路の開拓の点で大きな利点があったものと思われる。この問題については、国際シンポジウム”Masters of Mobility”において発表し、有益な助言を多数得ることができた。 ②文献資料に基づく調査(同【第3段階】に相当) 同時代における「ネーデルラント美術」の定義づけを考える出発点として、ファン・マンデルの『北方画家列伝』中の「ネーデルラント」と「ドイツ」の使い分けの問題を調査、第70回ベルギー研究会において報告した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
現地調査に関しては、当初の計画より時間を要し、予定していたニュルンベルクとアウクスブルクでの調査は延期せざるを得なかった。一部の古文書館において、閲覧用のマイクロフィルムの質が著しく低かったために史料の原物を取り寄せねばならず、予想外の時間がかかったこと、また、シンポジウムの発表準備にも予定より多くの時間を割かねばならなかったことが原因である。上記の2都市に関しては、最終年度である次年度に改めて調査を行うものとする。 他方で、最終年度に集中的に行う予定であった、同時代の文字資料における「ネーデルラント美術」の定義の調査に関しては、所属する研究会において発表の機会をいただいたことを機に、前倒しで着手したため、次年度の調査に占める比重が減少することとなった。 以上の点を踏まえて、現状では若干の遅れが出ているものの、調整可能な範囲であり、計画の遂行には問題ないと考える。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度である平成30年度には、前年度に引き続き、①現地調査(研究計画の【第2段階―都市ごとの移住・定着パターンの分析】に相当)の仕上げ、および②文献資料に基づく調査(同【第3段階―ネーデルラントとドイツ:芸術上の交流とその所産についての考察】に相当)を行う。 ①に関しては、史料の解読・分析を進め、前年度に遂行できなかったニュルンベルクとアウクスブルクの現地調査を行う。②に関しては、前年度に調査対象とした芸術家列伝に加え、ネーデルラント側・ドイツ側双方の美術品取引関係者(美術愛好家、画商、王侯の代理人など)の書簡や日記に対象を拡大し、両地域の芸術がどのように区別されていた(あるいは区別されていなかった)のかについて網羅的な調査を行う。
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