リシツキーは論文の多くをドイツ語で執筆しており、これまでドイツおよびアメリカを中心に多くの研究が行われている。本課題ではロシア語で執筆、出版されたリシツキーの論文や、ロシアで出版されたグラフィックデザインを調査し、リシツキーの活動を新しい局面から考察した。また、リシツキーが学生時代を過ごしたダルムシュタットや、彼が展覧会を行ったハノーファーの美術館で調査を行い、リシツキーの西側のダダイストとの交流を明らかにした。とりわけ、モスクワのイゾスタト(図解統計出版局)の設立に尽力した経済学者のオットー・ノイラートとの交流を明らかにし、リシツキーがデザインを手がけたイゾスタトの出版物の分析を行った。
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