本研究の目的は、『長珊聞書』や『紹巴抄』といった連歌師の注釈書を手がかりに、三条西公条が行った連歌師に対する源氏講釈の内容を分析することによって、公条が三条西家の説として伝えた源氏解釈とは異なる新しい源氏物語解釈を、連歌師相手に試みていた可能性を探るものである。そのため、本年度は、これまでの調査結果を踏まえ、公条の源氏物語注釈書である『明星抄』や、公条の縁戚で三条西家の学問を受け継ぐ九条稙通の注釈書『孟津抄』などとも比較し、三条西公条の解釈を考察した。例えば『長珊聞書』にしか見られない公条説があるように、連歌師の注釈書にしか見られない公条の解釈がある一方で、『長珊聞書』や『紹巴抄』に見られる説が、『明星抄』や『孟津抄』に見られる場合も多く、全体として連歌師に対する公条の解釈の特色を捉えるには、さらに時間が必要である。連歌師が公条の講釈を聞く場合も、単独で聞いたとは限らず、むしろ他の参加者に混じって聴聞した場合が考えられるので、それらも踏まえて今後一層の詳細な検討を試みたい。とはいえ、このような考察の過程で、本年度は三条西公条が新しく行った解釈の特徴の一端を明らかにすることができた。今回着目したのは、公条の語義に対する注釈態度である。古くは『河海抄』あたりから、源氏物語において、ある一つの言葉が複数の意味を有し文脈によって異なる意味で使われていることは指摘されてきたが、多義語として扱われる語はある程度限られていた。しかし、公条は一つの言葉が複数の意味を持つということ自体を重視し、語を積極的に様々な意味に読み替え、そのことによってこれまでにない新しい解釈を生み出したり、これまで不審とされていた所に解決策を見出そうと試みていることが分かった。さらには、語に文脈によって様々な意味を持たせることを源氏物語作者の方法として捉えようとしているのではないかということも明らかになった。
|