本研究は、従来の近世和歌研究では取り上げられることの少なかった「儀礼和歌」について、約270 年ぶりに再興された元文度大嘗会和歌と、寛政度内裏造営の際に新調された清涼殿障子和歌を考察対象とし、朝儀復興の中で歌人の果たした役割を明らかにすることを目的とするものであり、主に近世中後期の日野・烏丸家の歌人を通して、儀礼和歌の実際とその意義を考えてきた。 計画段階では、予想しなかった天皇の代替わりにより、2019年秋の大嘗祭では皇居に大嘗宮が建設され、悠紀主基屏風が新調された。江戸時代の大嘗会屏風や紫宸殿の賢聖障子なども初めて公開され、資料への理解も高まった。一般にも皇室とそれを取り巻く文化への関心が集まった時期でもあり、他分野の知見も多く公開され、本研究の視野を広げることができた。 これまでの成果として、元文度の大嘗会和歌に果たした烏丸光栄の役割について主に日記を元に考察し、論文として発表したほか、寛政度内裏造営について、和歌や歌人の資料のみならず造営方の御用日記や絵画資料の他、安政度の障子和歌にも目配りをしつつ研究を行ったことなどがある。 本年度は最終年として、寛政度内裏における清涼殿障子和歌についての研究をまとめることを目指し、京都大学総合博物館や宮内庁書陵部、京都市立芸術大学芸術資料館などでの資料調査を行った。主に描かれた絵と和歌の関係や、内裏造営において修理職奉行を務め、清涼殿障子和歌の一切を取り仕切った日野資矩の日記の精読などにより考察を進め、得られた成果を日本近世文学会秋季大会にて、「寛政期の清涼殿障子和歌制作―日野資矩の役割を中心に―」と題し発表を行った。また、裏松固禅の清涼殿障子和歌制作に関わる考証の中から、平安時代にはそれらは存在しなかったこと、それを新しく作り上げるに当たっての考案の過程について「寛政度清涼殿障子和歌と裏松固禅」と題して論文化した。
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