清水文雄ら「文芸文化」同人に共通するのは、従来の実証的国文学解釈に拠りながらも、「詩人の目」で日本の古典の本質を捉えようとする意志であった。その証拠に、彼らは「文芸文化」を足場として、伊東静雄、佐藤春夫、中河与一ら詩人・作家との交流を盛んに行っている。三島は清水ら同人に文才を見出されて以後、彼らの開いていた古典研究会などに参加することを許され、そこで得た素養は、彼のその後の作品に遺憾なく発揮された。彼らは三島を、国文学者と詩人とを繋ぐ可能性を秘めた人物として評価し、また三島自身その要請に見事に答えたのである。三島の習作期は同人を始めとする複数のメンターに拠ってその土台形勢がなされたと言える。
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