満洲語の格標識を中心に,文献資料を用いた分析を引き続き行った。今年度は特に,経路とも起点とも記述されて来たderiという標識に注目した。清朝初期の満洲語と上代の日本語が共に被った格標識の用法の歴史的な変化として,経路をあらわす格標識(満洲語ではderi)が起点をあらわす格標識へと機能を変化させた点が今までに指摘されているが,このderiの機能の史的変化の詳細は明らかではない。本研究では,17世紀半ばの満洲語の格標識deriを,他の格標識との交替が可能か否かという観点から検証した。「道を行く」と表現した際に経路である「道」に付加される格標識は主に対格標識beとderiであり,この表現でderiがいわゆる奪格の格標識ciと交替している例は無いが,「内から応じる」という表現ではderiもciも用いられており,ここではderiは出発点的な用法があるようにも見える。しかし,「城を出る」と言う際にはderiはciの代わりに出現してはいないから,この時期の体系全体としては乾隆期の満満辞典『御製増訂清文鑑』にある「ciという意味」というderiについての記述とは完全に異なる段階にある。これは,今後,満洲語の歴史全体を通した格体系の史的変化の考察へと繋げることができるものである。また,この時期の満洲文字の文献を多数扱うにあたって問題になる文字表記の曖昧性についても,同時に考察を行った。曖昧性の問題は,満洲文字が1文字1音価であるという前提から軽視されがちであるが,実際には資料を扱う際に無視できるものではない。現在は一部の文字の問題に留まっているが,満洲文字の体系に関しても,今後のさらなる研究に繋がる分析を行うことができた。
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