今年度は、これまでの研究成果をふまえて、以下の通り研究を進めた。 まず第一に、戦時期の東京における日雇労働をめぐる構造について、労務供給請負業者の動向に注目して分析を進めた。昨年度にひきつづき、飛田勝造の活動実態や思想のあり方について、飛田自身のテクストをもとに検討を加えたほか、飛田と関わりの深い人物の回顧録などから、その人物像について考察した。「皇道仁義」や「労士」など、飛田独自の概念が持つ意味について検証するとともに、そうした活動が1943年8月に飛田が中心となって結成した労務供給請負業者の団体=扶桑会の組織化へとつながっていく経緯について明らかにした。 第二に、扶桑会の方針や活動実績について研究を進めた。具体的には扶桑会の作成したパンフレット『皇道仁義と勤労』や『労政時報』掲載の関連記事をもとに、同会が海軍関係の土木、建築、運搬などの業務を担っていく経緯を検討した。これらの研究を通して、同会の活動が、従来の親分・子分関係を否定するという大日本労務報国会の論理とは異なり、むしろ「伝統機構」を復活する指向をもっていたことが明らかとなった。 第三に、こうした戦時下の日雇労働者の組織化が、戦後改められていく過程について検証した。具体的には、1947年の職業安定法によって「労働者供給事業」が原則禁止となり、親分・子分関係と密接に結びついた収奪の構造が「消滅」の対象となっていく経緯について検討した。また、そうした政策動向が、その後換骨奪胎され、「伝統機構」がなおも重い位置を占めていくことになるという筋道を明らかにした。 以上を通じて、戦時期に行われた日雇労働者の動員政策が歴史的に占める位置が明らかになるとともに、その経験が戦後へとどのようなかたちで引き継がれていくことになるのかについて、一定の道筋を示すことができた。
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