中世後期、地域の中核となる地方寺院が出現し、紀伊国根来寺はその代表的な存在として位置づけられている。人びとが多数集う場としての地方寺院は如何にして形成されたのか。従来、その展開要因として、行人方による社会経済活動や武力行使などが注目されてきた。 しかし本研究では、周辺地域のみならず全国各地から根来寺へと惹き寄せられた学僧らの存在形態や時代的変遷を明らかにすることで、「学山」としての根来寺の形成と展開過程を考察した。中世後期の地方寺院の展開において、寺院の寺院たる所以、つまり寺院の根本的な存立基盤である信仰そして宗教に基づく視角にもよる理解の重要性を考えた。
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