本研究は、琉球国王の王位継承儀礼の最終段階である「冠船」(冊封)について、その意義と役割を明らかにし、そこから琉球王権の実態を解明することを目的としておこなった。具体的な研究内容および、意義、重要性は以下の通りである。 1.冊封をめぐる交渉について、最後の国王となる尚泰冊封の決定までの細かな交渉過程を明らかにすることができた。そのなかで、交渉仲介者である通訳の地縁・個人的な人的関係を元にした交渉が展開されたことがわかった。 2.冊封儀礼について中秋宴や重陽宴などの冊封諸宴を中心に分析した。首里城に隣接する龍潭での冠船ハーリーの運営は王府主導の行事であり、例年開催される那覇ハーリーのノウハウも活用されていることなど、儀礼・宴会の運営主体と運営方法について明らかにした。 3.冊封使来琉中の首里城儀礼について検討した。基本的に首里城北殿は冊封使向け、南殿は薩摩藩役人向けの接遇施設だったが、儀礼や宴会により冊封使も南殿に招待されるなど、接遇の相手によって首里城が柔軟に活用されていたことがわかった。また、各部屋・殿舎の飾り付け(床飾り、茶器配置など)について検討し、やはり接遇の相手に合わせた飾り付けをおこなっていたことを明らかにした。さらに、冊封時にも薩摩役人が首里城に招待され、冊封儀礼の一環としての接遇を受けていたことから、冊封とは、中国のみならず日本側も含めた儀礼構造を持っていたことを指摘した。 4.下級の諸士や百姓身分の技術職にとって冊封とは、臨時的に設定される王府の役職に就いて功績を積む機会となったことがわかった。昇進や功績の蓄積に不利となる場合、役職によっては職を辞すこともあり、そのため例えば冊封使に供する花火技術の場合、技術継承がスムーズにはいかなくなる事態も起こっていた。ここから、冊封を介した職人・役人の任用は、王府にとって課題となる状況も現出していたことがわかった。
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