流鏑馬の出現から廃絶までの関係史料の収集・データベース化を概ね完了させ、流鏑馬の主な実践の場となった都市や組織(流鏑馬出現期の京都と、発展期の鎌倉幕府)の礼制上の性質、さらにそれらと流鏑馬の儀礼的特質の関係性の解明を進めつつ、流鏑馬興亡の諸段階をもたらした京都や鎌倉幕府の政治史的諸段階の解明に取り組んだ。その過程で、流鏑馬が《礼》思想と直結し、《礼》が古代中国の儒教に由来して《法》とともに古代東アジアの規範の重要な二本柱であった事実に行き当たり、古代東アジア(特に源流たる中国、媒介項たる朝鮮半島諸国、伝播先たる日本)における《礼》の基礎的事実の解明に着手し、青写真を描く段階まで至った。
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