研究課題/領域番号 |
16K16915
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研究機関 | 同志社大学 |
研究代表者 |
久野 譲太郎 同志社大学, 研究開発推進機構, 助手 (10755391)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | ハイデルベルク / 日独学術交流 / 1920年代 / ヴァイマール期 / 留学 |
研究実績の概要 |
平成28年度は主に、資料を保存するドイツ、ハイデルベルク大学に赴き、当大学公文書館にて約3か月間の資料調査をおこなった。加えて、現地では当大学の研究者達と面会して直接意見交換をおこなった。更にハイデルベルク大学図書館や博物館、現地古書店等を訪問することで当大学や当都市の歴史についてなど関連資料の収集もおこなうと同時に、フィールドワークにて1920年代の日本人留学生が滞在ないし訪問した各下宿や施設等も探索、訪問した。 その結果、1920年代にハイデルベルク大学に留学し学籍登録をおこなった数多くの日本人学生の存在が新たに発見されるとともに、それにより従来は全く不明であった当年代における当大学への日本からの留学の規模を把握することが可能となった。またフィールドワークでは当時の一部留学生の下宿先や訪問先にて、当時の具体的状況に関する情報を収集することもできた。 現在はハイデルベルク大学公文書館より、現地にて資料複写依頼をおこなった全日本人留学生に関する資料群がデータにて届きつつあり、順次資料目録を作成しつつある段階である。資料は大まかには学籍登録簿や修了証明書といった公的資料と、書簡や紹介状などのやや私的な資料とに大別しえるが、とりわけ前者からは留学生個人ごとの属性とともに、留学全体の傾向や推移が明らかになりつつある。ただし、留学生のなかには現在ではほとんど知られていない人名も多く含まれている。そのため現在、当該資料と文部省在外研究員表や人名辞典などを照合し、身元の特定をおこなっている最中である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究では現地での資料収集が前提をなすが、そのためにはまず現地公文書館に赴き、多数の学籍登録本に記載されている膨大な数の全学生のなかから、日本人学生の名前を発見しなければならない。そののちに初めて、公文書館にその人物に関する資料ファイルを請求することができるからである。 しかし全学生の総数は膨大であることに加えて、それらは印字ではなく手書きの筆記体、しかも現在では使われない昔の書体を用いて書かれている場合がほとんどであった。そのため各学生の名前と出身都市を解読するのに時間を要し、結果、日本人学生の発見にも時間を要した。併せて、現地公文書館では自ら資料複写をおこなうことはできず、原則当館の研究員や職員に依頼をおこなう必要がある。そのために勝手なペースで調査をおこなうことはできなかった。 以上の理由から、計画段階の想定よりもやや遅延が生じている。ただし、現地の研究員や学生が補助してくれているため、問題のあるような状況ではない。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、現在ハイデルベルク大学公文書館より順次届きつつある全日本人学生の資料目録の作成を完成するとともに、彼ら留学生の個人データを整理、解明する。それにより、1920年代におけるハイデルベルクへの留学の正確な規模と性格、傾向の推移を統計的に解明する。 そしてその際、計画段階からは以下の点、若干の変更をおこなう。 まず、「1920年代」という時期限定をわずかに広げ、1919年から1932年という、いわゆる「ヴァイマール期」に拡大する。その方が、機械的な年代限定よりも、当時の留学状況をより具体的に1つの時代情況や文化情況と有機的に連関させて把えることができるからである。そのため、今後再度ハイデルベルクを訪問し、1919年および1930年から1932年分の資料収集と追加調査をおこなう。 またそれに伴って、収集資料に基づいた基礎的研究全体の規模拡大と一層精緻な分析をおこなうこととする。そのため、計画段階では本研究の各論に相当した各留学知識人の個別的な思想史的検討を一旦後置し、まず基礎的研究の発展と完成を優先する。なぜなら前者も後者の成果に立脚するものであり、従って学術交流の実態を解明するに当たっては、後者の着実な解明こそが先決事項であるからである。そのため、今後本研究では、まずはヴァイマール期ハイデルベルク大学への留学に関する基礎的事実の調査解明と実証的分析に研究活動の比重を置くこととする。 なお、研究成果の国民に対する発信方法は、ホームページよりも、日本の大学が現在企画構想し予定している公開プロジェクトでの講演、パネル展示、パンフレット作成等を予定している。
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