検地は、日本中世・近世の権力による土地政策として重視されてきた。特に豊臣秀吉の太閤検地と呼ばれる検地は、中世社会を近世社会に転換させた政策として 評価されることもある。こうした検地について、本研究では、①検地にまつわる史料のデータベース化、②検地手法の多様性を検討、③検地手法の展開の検討を 行なうことで、具体的実施手法を明らかにすることを目的としている。 本年度は、前年までに収集できていなかった史料などを収集した。そして、収集した史料に記された、各地における検地の実施手法等を読み取り、土地評価の方法、検地の種類とその目的、現地での動き、かかわる役人などをまとめ、表を作成した。その結果、近世においては、たとえば土地を評価する際の土の見方一つをとっても、各地で想定以上に多様なあり方があった。これは地域独自に発展したものとみられる。 こうした作業に付随する研究として、「土佐国の地域権力――長宗我部・土佐一条家を中心に」と題する論文を、『戦国時代の大名と国衆』に発表した。ここでは、戦国時代の地域権力の土地把握能力が、上位の権力の影響によって進んでいく側面と、戦争の激化にともなって自身で推進していく側面の、両方があったことを確認できた。 こうした戦国期の状況と、豊臣政権期や江戸時代を比較することで、それぞれの時代の特徴を検討した。豊臣期は政権の影響が非常に強い。一方で、江戸時代では、幕府から藩に対する検地命令は減少し、また豊臣期の検地の蓄積もあるため、土地把握を大きく進めていく必要が限られていく。そのため、土地把握の進展よりも、個々の目的を果たすための土地調査が行なわれるようになっていったことが、本研究で見出した検地の多様性につながっていたものと思われる。
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